hidekatsu-izuno 日々の記録

プログラミング、経済政策など伊津野英克が興味あることについて適当に語ります(旧サイト:A.R.N [日記])

カルビーの失敗から学べること

カルビーがKPI導入の失敗から、それをどのように解決したかという記事を読んだ。

この記事を読んで、最近思っていることがちょうど重なった。

経済学や経営学に限らず、最近はエビデンスを重視する傾向が強まっており、それ自体は根拠もなく勘と経験に頼ってきた過去の反省に基づいているという点で大変よいことではある。しかしながら、一方でエビデンスに頼り過ぎることの弊害を感じることも増えてきた。

それは何か。

古くからあるジョークとして「街灯の下で鍵を探す」というものがあるが、人は得てして客観的に見ようとするあまり、見えやすい問題にばかり注力してしまい、見えにくい問題を無視してしまいがちだ。

物事には客観的に観測しやすいデータと曖昧模糊として表現のしずらい情報が混在している。例えば、営業活動ひとつとっても、訪問回数であったり訪問時間であったりは観測できるが、客先との人間関係の構築のうまさをデータとして表現するのは大変むずかしい。

もし、営業の成果指標を訪問回数や訪問時間として定義し評価軸としてしまうと、そればかりに注力してしまい実際の営業活動の成果は悪化してしまうかもしれない。

多くの会社で売上を伸ばせという目標が立てられているが、これにも同じ問題が隠れている。売上至上主義になると利益度外視で販売してしまいがちになるし、売上は低いが利益率の高いような商品は無視されることになる。利益至上主義にはそこまでは弊害はないかもしれないが、ロングテールや評判といった見えにくい指標を無視しがちであるという点では同様の効果を持つかもしれない。

カルビーが出したこの問題への回答「あくまで指標は結果であり評価基準として使わない」は、妥当な結論だと思う。指標を公開し、それを営業マンが分析する道具という役割に徹するのであれば、営業マンの行動を誤誘導することはない。

私が思ったのは、「ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学」で紹介されていた「優れたビジョンの基準」もその答えになるのではなかろうか、という点だ。バウムらの研究によれば、優れたビジョンには「簡潔明瞭である程度抽象的である」ことが重要であるとされている。

経営者は利益○%を増やせと叱咤するよりも、「我々の製品を使い、世界中の人々を豊かで快適な住環境に貢献する」といった抽象的で方向性のわかるビジョンを示したうえで、営業マンにもあなたはこの一年そのビジョンの実現に貢献したかを問うというのもひとつの解決策かもしれない。