hidekatsu-izuno 日々の記録

プログラミング、経済政策など伊津野英克が興味あることについて適当に語ります(旧サイト:A.R.N [日記])

「失敗の科学」では語られないこと

Kindle Unlimited の枠が余っていたので「失敗の科学」を読んだ。

 

表紙が煽り文句で埋め尽くされており不安を醸し出しているが、内容は割と良かった。基本的には様々な文献をまとめた内容で知っている事例も多かったけれど、それでもまとめ方がうまくて読み入ってしまった。

失敗を防ぐには非難を止め事例を集め大きな問題を小さな問題に切り刻み地道に解決しろ、基本的にはその通りだろうと思う。もちろん、まったく問題がないわけではない。例えば、「Grit」の項は今となっては不適切な内容だと思う。やり抜く力として知られる「Grit」は現在ではほとんど効果が見られないということがわかっていたり、既存の理論との重複が多く実は独自性がないのではないか、という批判にさらされている。
本書の中で「スケアード・ストレート」と呼ばれる犯罪抑止プログラムに実は効果がなかったという話が取り上げられているが同じ誤謬をしてしまっている。

ただ、それ以上に思うのは、失敗の原因はわかった、繰り返される原因もわかった。だが、それを防止する方法は? 本書でも誤認により本来罰せられるべきでない人が罰せられるという事例が多く取り上げられているが、いずれの事例でも誤認した人は罰せられない(それどころか誤りを認めることすらしない)。
これは政府でも企業でもよくある光景ではないだろうか。社長直轄プロジェクトが炎上したという話は枚挙にいとまがない。トップの指示が原因で会社が危機的な状況に陥ったとしても、リストラされ生活が困窮するのは従業員ばかりで、原因を作った当の本人はその権力故にダメージを受けずに終わることも多い。

現在もトランプ大統領による迷惑極まりない経済政策が展開されているが、その結果について責任を取るつもりはみじんもなさそうだ。

結局のところ、決める側は失敗したところで痛くも痒くもないのだ。それでは失敗が繰り返されるのも当然だろう。

ではこの問題への対処策はあるのだろうか。フジテレビのように社会的問題にまでなれば何らかの制裁が加えられるが、ほとんどの場合はそこまでのことにはならない。せいぜい中間管理職が詰め腹を切らされるくらいか。それでは抑止にはならないだろう。

こういう問題は為政者の善意と能力に期待する以外にないように思う。そして、同じようにたまたま自分が冤罪当事者とならないよう祈るしかない。それが(残念ながら)世の摂理のように思う。