hidekatsu-izuno 日々の記録

プログラミング、経済政策など伊津野英克が興味あることについて適当に語ります(旧サイト:A.R.N [日記])

「戦略ごっこ マーケティング以前の問題」を読む

たまたま見かけて買った本だったけど、おそらくこれはすごい本だ。マーケティングについては門外漢なので、間違ったことを言っている可能性もあるが、「21世紀におけるマーケティングの教科書」と呼んでも差し支えない内容だと感じる。

 

作りとしては「事実に基づいた経営―なぜ「当たり前」ができないのか?」に近く、主に2000年以降のマーケティング系論文を著者なりにまとめて解説した本となっている。このような作りは邦訳書籍ではしばしば見かけるものの、日本の書籍としては大変珍しい。日本人が書いたビジネス書はたいてい、著者の経験から来る思いつきが列挙されるだけで根拠は皆無なことが多い。この本では、多くの箇所で引用元の論文が記載されておりかなり信頼できる。*1

 

マーケティングの本と言えば、コトラーや4P/4C分析などのフレームワークの解説に終始することが多いけれども、そのような内容にはほとんど触れられていない。むしろ、私のような素人向けの用語説明は簡素でもうちょっと補足してほしいと思うくらいだ(ロイヤリティ、オケージョン、STP などはマーケティング専門用語的な意味合いが強く、読んでいていつも引っかかった)。

そうではなく、マーケティングにおける常識と思われてきた言説、例えば「新規獲得よりも既存顧客の解約率を下げることが重要」、などに対し、2000年以降の実証研究を踏まえ再検討を迫る内容となっている。

 

この本の主張はこうだ。過去のマーケティング分析はうまく行った事例を元にこうすればうまくいく、と主張されてきたが、逆の因果関係の場合も多いため、担当者や経営者が良かれと思ってやっていることが、実際には事業の成長を妨げ、時にはビジネスを衰退させる原因になっているのではないか、ということだ。

この視点は過去に紹介した「なぜビジネス書は間違うのか」にも通底する内容だ。成功事例の裏には多くの失敗事例がある。成功事例で実施した施策は実際には失敗事例でも行われていたかもしれない。成功事例のハロー効果(後光効果)によって施策の効果はゆがめられてしまう。同様に因果推論においては反実仮想での結果と比べて効果があったか否かかが重要となるが、マーケティング担当者は実際の結果でしか判断ができないため、本当は因果関係がないような施策に自信をもってしまう。

 

本書の優れたところは単なる否定に終わるのではなく、具体的にどう行動すべきかまで踏み込んでいるところだ。

たとえば新規顧客と既存顧客ではどちらが重要か、という「問い」に対し、新規顧客の獲得は既存顧客よりもコストがかかるという常識は間違っており、実証研究を見る限り既存顧客の維持の方がコストがかかり、通常は新規顧客によって販売が拡大するという「否定」を行ったものの、長期では新規顧客の獲得が重要でも、短期では既存顧客の維持も必要なのだから、それぞれをターゲットに異なる施策を打ちましょう、というアドバイスを行うといった次第。

 

細部まで踏み込まれた大変な力作だと感じる。「渋谷駅前で働くデータサイエンティストのブログ」のTJO氏など、専門家の感想も聞いてみたいところだ。

 

一点、残念なところがあるとすれば書名だろうか。マーケティングやブランドについて扱った本なのに「戦略ごっこ」というタイトルはいかがなものだろうか。

副題も「マーケティング以前」となっており、この本がマーケティング戦略の本筋について書かれているとは受け取られにくいし、「ごっこ」という言葉は本書の購買層であるマーケティング担当者を端から馬鹿にしているように読めてしまう。本のタイトルは担当編集が決めるものであるので著者のせいとも言い難いが、このタイトルは拒否すべきだったように思う。平凡かもしれないが「マーケティング新時代の教科書」などのタイトルの方がわかりやすいし、その名前にふさわしい内容に思える。

 

[2024/1/31追記] ありがたいことにTJO氏よりコメントを頂いた。

新鮮味はないとのことで、あまりおすすめではないようだ。そういう本ではあるとは思う。逆に言えば私のような素人にはまとまって読めて良かった、ということで。

*1:まぁ、「神々の指紋」の例もあるので、引用があればOKというわけではないけれども。