hidekatsu-izuno 日々の記録

プログラミング、経済政策など伊津野英克が興味あることについて適当に語ります(旧サイト:A.R.N [日記])

中高生の時に知りたかった英語の話

最近、英語に再度取り組んでいる。

多くの日本人の例にもれず、私も英語が大の苦手である。プログラミング系の技術文書を読むくらいならほとんどの単語がわかるのでなんとかなるのだが、英会話となるとまったく会話が成立しないレベルだ。

中学生の頃から英語には関心があったし、英会話学校に行ったこともあったりとたびたび挑戦したことはあったのだけど、才能がないのか、どうにもコミュニケーションをとれる状態に至らない。言語は才能じゃないと主張する人もいるが、英語が得意な知人などを見る限り、必ずしもそうではないように見える。何が重要なのかはっきりとはわからないが、単にコミュニケーション能力が優れているとか、瞬発力に優れているとか、耳がいいとか、そういう要素が関係しているのかもしれない。翻訳家ですら、翻訳はすらすらできるが、英会話は全然だめという人もいるので、知識量の問題ではなさそうだ。

別に海外に住みたいわけでもない(出身が九州だということもあり刺身と温泉のない生活は想像できない)し英語を使う仕事でもないので、合理的に考えて苦手なものにコストを費やす必要などないのではないか。そう思ってきたのだが、40歳を過ぎたあたりから「そうか、このまま何もしないと英語を話せる人にならないまま死ぬんだな」という気持ちになってきた。今の日本人だと80歳くらいまでは生きるとはいえ、60歳を超えたあたりからは事件事故以外の理由で亡くなる人がぽつぽつ出てくる。前のブログを始めたのは大学生だったが、それがいまや44歳となり、あと16年くらいしか人生残されていない(かもしれない)。

ただ昔と違うのは、今は英会話を学ぶのに便利なアプリやら動画やらが増えているということだ。特にネイティブの発音を簡単に聞けたり、ネイティブな人が言葉の選択にあたっての感じ方を説明してくるというのはすごいことだと思う。私が中高生の頃はネイティブの会話を聞く方法がそもそも少なく、英語のニュースを聞くためだけにBS放送に加入するという人も多かった。

昔でもネイティブ並みに話せる人は日本人の中にもたくさんいたはずなのではと思うだが、どうにも正しい説明がされないケースや完全なデマなどもあり、明らかに英語習得の妨げになっているように感じる。そして、必要以上に教えすぎな面もあるように感じる。過ぎたるは及ばざるがごとし。日本人が英会話を話せない理由のひとつに、ベースもないのに端から端まで全部教えようとしていることがあるのではなかろうか。

前振りが長くなってしまった。今回は中高生のときに知っておきたかった英語知識をメモも兼ねて列挙してみたい。とはいっても、上記の通り私は今のところ英会話ぜんぜんできない人なので、変なこと書いてたら指摘いただきたく。発音回りも書きたいところだが、いまだにさっぱりなので今回は割愛。

1.英語にはイギリス英語、アメリカ英語、オーストラリア英語などいろいろある

当たり前と言えば当たり前の話なんだけど、中高で英語を学ぶとき、どこの国の英語が基準となっているか教えてもらった記憶がない。たしかに基本的な文法は同じとはいえ、発音や単語の使い方にはそれなりの違いがあって、英会話という観点ではどこの国の英語を話すかというのは意外に重要に思える。

もし子供に英語を教えるのであれば、割り切ってアメリカ英語(地域も限定するのであればL.A.の発音)に絞った方がよいと思う。ベースがないのに、あちこちの方言を教えられても混乱が増すだけだ。アメリカ英語が話せれば、イギリスやオーストラリアに旅行に来たアメリカ人並みには振舞うことができるわけだから。

例えば、アメリカ英語では~だよね? を表す isn't it? の代わりに right? を多用する。この right はドラマなどを見ていてもすごくよくつかわれるし、こちらの方が簡単にも関わらず教科書で教えられるのは isn't it? の方だったりする。

怒るを意味する angry と mad もその意味で mad を使うのはアメリカ英語だけらしい。

2.現代では使わない文法表現がある

Shall、(推測の)May、Whom は文法的には正しいものの、現代では使われていないようだ。個人的には文法の網羅性よりも、スタートラインに立てることを目標に教えてほしいので、そのような表現は教えてもらわなくてよかった。whose や of which のような関係代名詞も with で繋ぐ方が自然な表現となるようだ。

~しなければならないの意味での must も強い意味を持つためあまり使われず have to の方が一般的であったり、~した方がいいという意味では had better よりも should の方が適切などという話も中高のときに知りたかった。should は~すべきというより~した方がいい程度の意味で、had better は~しないと大変なことになる、というニュアンスだそうだ。教科書とは逆と言ってもいい。

教科書的には should の言い換えとして ought to があるが、これも使われていないようだ。podcast などを聞いていてもたしかに出会ったことがない気がする。

初対面の挨拶の頻出表現である How do you do? も現代ではあまり使われず Nice to meet you. が普通だそうだ。

教科書的一般的
Shall IDo you want me to/Would you like me to
Shall weWhy don't we
I may ~I might ~
~ whom ~~ who ~
You must ~You have to ~
You had better ~You should ~
How do you do?Nice to meet you.

3.同じ意味だが、カジュアル/フォーマルで異なる英単語がある

これは特にYoutubeでの英語解説動画を見て初めて知った人が多いと思う。日本での英語についてのこれまでの通説は「英語には敬語がない」なのだが、実のところそんなことはなく、カジュアルかフォーマルかで異なる英単語が割り当てられている。表現の仕方が違うだけで英語に敬語がないというのは完全なデマだ。

問題なのは、単語帳ベースでの学習ではそのような違いが認識できないし、中高の授業でその違いを明確に聞いたことがない。それどころか、カジュアルな単語やフォーマルな単語が混在したような文章が普通に使われていたような気がする。

フォーマルな語の中には文語(=書き物)ではそのように書くが、フォーマルな場面で話す分には使ってもいいというものもあってややこしい。I'm のような省略形を文中で使ってはならないというのも初めて知った。教科書では会話以外の箇所でもそのような表記は普通に見かけたような記憶がある。

英会話という文脈に限ることができるならばカジュアルな用法から覚えていきたい。日本における英語教育は文章読解がメインとなるため、フォーマルな表現が頻発する。教科書もカジュアルな場面なのかそうでないのか、明確に区別してくれるとありがたいのだが。

カジュアルフォーマル(口語)フォーマル(文語)
Can youWould you-
gonnagoing to
wannawant to
I'mI am
~ ButThough ~Although ~
~ SoAs/Since ~
gottahave got to
everybodyeveryone

似たような話で、Nice と Good、So と Very、BigとLargeはそれぞれ個人の感想なのか、世間的な評価なのかという違いがあるそうだ。教科書では very が多用されるが、会話ではあまり使われないという話がある。たしかに会話ならば個人の感想が中心となるので不思議ではない気がする。

主観的評価客観的評価
nicegood
sovery
biglarge
littlesmall
valuableworth

4.実際にはそんなことはない謎のルール/表現がある

スポーツなどは play baseball のように the は付けないが、楽器の場合は play the piano のように the を付けなければいけないと教えらえる。しかし、実際にはそんなことはなく play piano でも何の問題もないようだ。

the の読み方が母音の前は「ザ」から「ジ」に変わるというのもルールではでなく、単に言いやすさだけの話のようだ(だから、ザでも間違いではないし通じる。どちらかと言えば the と ザの発音の違いの方が致命的かも)。

So so や I beg your pardon といった表現も日本の教科書ではよく使われるが、意味は通じるものの古臭く堅苦しい表現なのでかなり違和感を持たれるとのこと。My hobby や My job と言った自己紹介の頻出表現も日本語的に使うと間違った表現になるので使用をお勧めできないと聞く。

5.よく使うはずなのに教科書では見かけない表現や単語がある

あそびに行く hang out や納得する make sense、すごい awesome などは必須だと思うのだが、中高生の時に学んだ記憶がない。そういえば、冷蔵庫 fridge や電子レンジ microwave も習った記憶がない。生活においてもかなり優先順位の高い単語なような気がするのだけれど。