hidekatsu-izuno 日々の記録

プログラミング、経済政策など伊津野英克が興味あることについて適当に語ります(旧サイト:A.R.N [日記])

子供が生まれた日の記録

完全に私事なのだが、本日子供が生まれた。ちなみに、娘。

学生時代、コンピュータからの電磁波の影響でその手の仕事をする人の子供は娘が多いという噂を聞いたが、本当に娘を持つとは思わなかった。

この時代なので、男女で差別もよくないだろう。なので、後継ぎということになる。まぁ、家業はないのだが。

 

世の言説をみるに、子供が生まれると感動するぞ、という意見が多かったので、自分の場合どうなのだろうと思っていたのだけど、感動を覚えるということはなかった。だからといって、これから大変だ、困った、などと思うわけでも、狼狽するわけでもなく、ひたすら自然なことのように感じられ、何の違和感もなく時が流れている。もう中年であるから、そういうことも影響しているのかもしれない。

赤ちゃんが生まれると、両親のどちらに似ているか、という話をするのが通例であるが、生まれたばかりの赤ん坊ではまだよくわからない。両親ともにぺちゃ鼻であり、子も同じくぺちゃ鼻であることだけは確認できるが、その他の部分は似てるとも似てないともわからない。身長や骨格は9割が遺伝で決まるそうなので、結局はどちらかに似てくることになるのだろうけれども。

宇宙人や猿のように見えることもあると聞くので、それは覚悟していたのだが、実際にはそんなこともなかった。各パーツは小さいものの、まぎれもなく人間のそれである。ただ正直、顔だけでは男か女かすら判別がつかない。

看護士によれば、日々成長するので見るたびに違う顔に見えるそうだ。赤ちゃんとはそういうものかもしれない。コロナ対策のため、父親であっても当面面会ができない。次会う時にどんな顔をしているのか、楽しみではある。

 

子供が生まれると、世間的にはどういうふうに育ってほしいと思うか、という話になりがちだが、子供の人生は子供の人生だ。好きな道を選べばよいと思っている。

ただ、親としてはどういう選択肢があるのかは教えてあげたい。私は九州のいち地方都市で育ったが、周りに外国人もいなかったし、文化資本にも恵まれているとは言えなかった。例えば、東京で会う人々はなぜかやたら建物に詳しくいつも肩身の狭い思いをするが、地方の生まれではそもそもそんなものに興味の持ちようもない。

世で成功している作家や芸術家の話を聞くと、なんだかんだで環境に恵まれていることが多く、結局生まれ育ちは重要だよな、と感じることが多い。手塚治虫は、家が裕福で戦前の高価なマンガを読める環境があったからこそ、あのような表現を獲得できた。自由に選択しろと言っても、少なくともそのきっかけには触れることができなければ選択すらできない。だから、子供には選択肢を用意してあげたい。

 

ひとつだけ希望を述べるなら、残念な子にはなってほしくはない。勉強ができるという意味ではなく、騙されて大金をだまし取られたり、犯罪を犯したり、馬鹿やって事故で死んだり、他人の連帯保証人の欄にハンコを押したり、宗教にはまったり、ひろゆきのまねをしたり。そういう「かわいそうな人」にはなってほしくない。これだけは切に願う。

 

今回の内容は大変個人的なもので書くべきか迷ったのだが、今日しかできないことでもあるので書いてみた。将来、娘が読むこともあるかもしれないし。