hidekatsu-izuno 日々の記録

プログラミング、経済政策など伊津野英克が興味あることについて適当に語ります(旧サイト:A.R.N [日記])

日本の労働生産性はなぜ低いのか(メモ)

前々から気になっている話題ではあるのだが、いくつも文献を見るうちに新たな気付きがあったのでメモ代わりに書いておく。

日本のGDPは世界第三位だということはよく知られているが、それが日本の人口の多さに起因していることはあまり知られていない。4位のドイツは 8,300 万人、5位のイギリスは 6,700 万人程度しかいない。中国も豊かになったとはいえ、まだまだ貧しい地域に住む人も多く、世界第2位のGDPも14億の人口あっての順位だ。(なお、この順位は名目でも実質でも変わらない)

一般に国の豊かさは人口で割ったひとり当たりGDPを見るが、この指標を使う場合、物価変動や為替レート変動の影響を除去するため購買力平価換算するのが一般的となっている。この購買力平価換算ひとり当たりGDPで見た場合、日本の順位は大きく下がる。先進7か国の中で最下位であるだけではなく、2009年には台湾、2018年には韓国に抜かされ、2021年時点で世界33位となっている。

購買力平価(PPP)は一物一価が前提となるため、その妥当性が問題とされる。この点に関する批判としてはみずほ総合研究所の中尾氏による「『生産性』をめぐる5つの神話(前編) 神話2:日本の生産性は、国際的に見てかなり低い」が詳しい。ただ、一方でよりましな方法があるわけでなく、2国間ではなく多くの国々と比較しても低いことを考えると、この見解の妥当性は低いように思われる。

さて、購買力平価換算ひとり当たりGDPが低いのが事実だとして、問題はこれが何を意味するのかということだ。単に日本が貧しくなったと考えることもできるが、その解釈には注意が必要となる。最大の理由は日本は著しい少子高齢化が進んでおり、人口構成に大きな偏りがあることだ。いくら元気な高齢者が多いとはいえ、そのほとんどは年金暮らしの無業者やパートタイマーであり、人口構成のうち高齢者の割合が増えるにしたがってひとり当たりGDPは下がらざるを得ない。「『生産性』をめぐる5つの神話(後編) 神話3:日本の経済規模の低迷は生産性のせい」にて書かれているように、人口オーナスを考慮すると必ずしも日本の経済成長率は低いわけではないという議論がある。

実際、RIETI の 森川氏によるとリーマンショック後の日本の(資本と労働力の変動を除外した)TFP成長率はむしろ先進国トップレベルであると述べている。日本のTFP成長率は1%前後で推移しており、これ自体他の先進国に劣るものではない。一方で、日本のTFP水準は先進各国に比べ6~7割に過ぎず、この傾向は労働生産性も同様である。後進国ならば先進国になる過程で高い成長率によりその差は埋まることが期待されるが、日本においてはそのギャップは埋まることなく推移している(一方で韓国は高いTFP成長率を維持し先進各国との差をどんどん縮めている)。

ここからわかるのは、TFP成長率が先進国並みだから問題ない、のではなく昔から日本の労働生産性は低く、本来その差を縮めキャッチアップしなければならない状況であったのも関わらず、バブル崩壊後以降、成長率が鈍化し他の先進国並みの成長しかできなくなっていることが問題なのだと考えられる。脱成長どころではない。

この日本の停滞の原因が何であるかは(MMTやリフレ含め)議論のあるところだが、今回はそこには触れず、直接的な要因について考えたい。*1

まず、よく言われるのがサービス業の労働生産性が低い、すなわち過剰サービスである可能性だ。しかしサービス業とひとことに言っても様々な業種がある。床屋の賃金の議論に見られるようにサービス業の賃金はその国での平均的な生産性に大きく影響される。日本の過剰サービスが問題というより、日本の平均的な生産性が低いが故にサービス業にお金が行かず労働生産性が低く出てしまっている可能性がある。例えば、不動産業の生産性が伸びなかったとしても、土地価格がバブルの状態になっていないだけかもしれない。その場合、原因は別にあると考えるべきだろう。また、サービス業の生産性は計測自体が難しく、単なる測定の問題である可能性も否定できない。

業種別の分析を詳しくされている東洋大学の滝沢氏が書いた「産業別労働生産性水準の国際比較」「日米産業別労働生産性水準比較」「サービス産業の生産性分析」の内容を細かく見ていくと、特に格差拡大の大きな要因となっているのが情報・通信分野であることがわかる。日米だけで見ると電気通信や保険・金融分野も拡大の起因に見えるが、他の国も含めて比較したり、複数の資料を見比べた限りさほど問題とは思えない。しかし、情報・通信分野に限れば、日本単体で見れば労働生産性は伸びているが先進各国ではそれ以上に大きく労働生産性が伸びているという状況が存在するのは確実なようだ。

日本の情報・通信分野での生産性が低迷した説明としては、IT投資が行われなかった、という指摘とIT投資が行われたが非効率だったという指摘の両方が見られるが、少なくとも後者はアメリカとの比較で言及されることが主であり、妥当とはいいがたい。またIT投資の量についてもたしかにGDP比で下がっているのは気になるが、GDP比の水準で見ればさほど見劣りするものでなく、明らかな原因とは言い難い。

次に業種ではなく労働者の質という面から見てみたい。今回調べていてむしろ気になったのはこちらである。明らかに他国と違いのある指標が見つかったのだ。それは、賃金水準別雇用者数の変化である。

 

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他国の労働者の増加が高賃金職種(管理職、専門職、技術職)で進む中で、日本だけは中・低賃金職種に吸収されていることがわかる。すなわち、他国では人材の高度化が進む中、日本ではそのような変化が起こらなかったようだ。どこまで妥当な推計なのか不明なところはあるが、日本では人材投資が極めて少ないという指摘も多い。

このことは労働時間の変化からもわかる。日本人は働きすぎと言われるが、総労働時間は下がり続け現在ではさほど高い水準ではない。しかしこれにはトリックがあり、正規雇用の特に男性に限るとまったく総労働時間は下がっておらず、パートタイム労働者の比率が上がり続けた結果、全体としては労働時間が減ったように見えているだけだ。

ただ、これをそのままに受け取るわけにもいかない。ここでも少子高齢化の影響がある。高齢者の就労は非正規に偏らざるを得ないし、役員など高賃金職種につけるのはほんの一部だろう。すでに総人口の30%が65歳を超える日本において、高賃金職種が増えずパートタイム労働者の比率が上がるのは致し方ない面もある。

また、人材の高度化が進むということは、格差は拡大するということでもある。日本は高度成長はしなかった代わりに安定した社会を手に入れられた、という言い方もできる。

人材の高度化を考えるうえで避けて通れないのは性別の問題だ。もし、パートタイム比率の拡大が単に高齢者に占められているだけならば、さほど問題ではないが、日本においては女性の社会進出の状況は明らかに問題である。

国際比較でみる日本の非典型雇用」を見る限り、女性の非正規雇用の割合は他国に比べ明らかに高く、明らかに有効に活用できていないことがわかる。諸外国においても、ガラスの天井と呼ばれるように女性の上級職への移行には壁があるが、日本においては職業機会の時点で壁が存在している。韓国においては男女の正規雇用率にほとんど差がなく、高く維持された成長率の源泉になっているのとは対照的だ。

もうひとつの観点として移民がある。移民は活力ある世代が流入するため、生産性には大きなプラスの影響を与えるとされており、多くの研究において移民以外の人々の職を奪い賃金を下げるといったネガティブな効果は見られない、という結果も出ている。

もちろん一方で、そもそも受益者である国民の定義が変わってしまうという問題や文化的な摩擦によって社会が不安定化することも否定できない。生産性が高まるから良いのだと言う意見は一面的に思える。特に文化的均一性が高い日本においては難しいし望ましいとも言い難い。

今回調べた限り、高度な人材の育成(IT分野がより望ましい)と女性の社会進出の促進、この2点が日本の労働生産性を伸ばすためには重要であろうというのが個人的な結論なのだがどうだろうか。これに関しては、確信があるわけではないので、エビデンスがあるのであれば様々な見解を知りたいところだ。

[2022/2/23追記] rionaoki さんより韓国は出生率が低く目指すべきとは言えないところがあるとの指摘があった。確認すると確かに現在の出生率 0.84 (OECD平均1.61、日本 1.34)と極めて低い数字となっており、女性の社会進出が未来の先食いに繋がっている可能性は否定できないところだ。女性の労働力率と出生率には明らかに相関関係がみられることから、女性の社会進出を進めるにしても、出生率を下げないよう慎重な制度設計が求められる。ただし、日本は女性の労働力率出生率もいずれも低い状況にあり、出生率を下げずに労働力率を上げる余地はあるように思える。

[2022/5/20追記] 一般的な理解としては子供の数は子供にかかるコストに応じて減少するとされている。かつては貧乏子だくさんが普通であったが、これは農業中心の世界では子供が労働力となるという事情もあった。ただ、現代では子供の教育コストが増大した結果、裕福な家庭でなければ子供が持てない、とされている。

東京医科歯科大学の坂元晴香准教授によると、女性と学歴に関して、従来は高学歴ほど子供を産まないという傾向があったが、現代ではもはやその傾向はなく、むしろ高学歴・高収入の女性ほど子供を持つ傾向が強まっているそうだ。

少子化対策には子育て世代への手厚い支援がやはり正攻法ということだろう。

*1:バブル崩壊後にうまく対処できていれば、キャッチアップがうまく行き、現在のように低い労働生産性のままではなかったかもしれない。