hidekatsu-izuno 日々の記録

プログラミング、経済政策など伊津野英克が興味あることについて適当に語ります(旧サイト:A.R.N [日記])

褒めるべきか叱るべきか、それが問題だ。

私自身、短気な人間であり、頭にくることも多々あった。そのことを自覚してからは、ずいぶんコントロールできるようになったとは思う。少なくても、プライベートであれば頭に来ることがあっても、とりあえず軽く流せばいいと思えるようになった。世の中、子供の泣き声に怒声を浴びせたり、乳母車が邪魔だからと赤ん坊を殴ったりする人もいるが、おそらくそういう人はちょっとしたイラツキが我慢できないのだと思う。不快に思うことは大抵の他人にとっても不快であって、短時間の我慢ができるかどうかの違いに過ぎない。イラツイたら、まぁでもどうでもいいか、と考えるだけで、ずいぶん楽になるのではないかと思う。

ただ、これが仕事のこととなると話が違ってくる。システム障害など何らかの問題が発生し、その直接的原因が明らかに個人に起因するものであると特定できるとき、どのように対処すべきだろうか。怒るべきだろうか。お客の立場なら怒ってもいいかもしれないが、同じチームのメンバならば、重要なのは問題を解決し再発を防止することであって、怒ること自体に意味はない。

もちろん、怒ったり叱ったりすることが再発防止に役立つのであればそうすべきだろうが、その根拠があるのかと問われると心もとない。例えば、教育学では、怒ったり叱ったりすることは子供にとって負の効果があるとするのが常識となっているようだ。このページによると叱ると一見改善が見られる現象も実は平均への回帰である可能性が指摘されている。もとより能力がないのであれば、それこそ叱っても仕方ないのであるし、能力があるのであれば、なぜ問題が起こったのかがより重要だろう。

一方、褒めるについても、ただ褒めればいいというものでもないようだ。「「学力」の経済学」によると、「元々持っていた才能や能力」を褒めるとむしろ逆効果で、「達成に必要となる努力」を褒めることが 重要なのだそうだ。このことは子供だけではなく職場でも似た傾向があるようで「ワーク・モティベーション」によると、目標設定の際には、業務経験がある場合には「ベストを尽くせ」と言うことで、経験がない場合には「目標達成に役立つ研修の受講」などを目標にするとより高い効果が見込めることが書かれていた。

「学力」の経済学

「学力」の経済学

 

ただ、怒るや叱るということもある状況下では意味があるのでは、と個人的には考えている。ジョブズのように人間的にはどうにかしている人物が優秀なリーダーを務めていたことを考えると、叱るのはダメ、という理解は一面的なものに思える。

「学力」の経済学」で語られているもうひとつの話として、「自尊心」と「学力」の関係が書かれている。一般には、高い自尊心が向学心を燃やし高い学力に結びついていると思われがちだが、実際には学力が自信に繋がり高い自尊心を生み出していることがわかったそうだ。

ようは褒めるにしろ、叱るにしろ、目標達成に役立つのであれば、それは意味があるといことなのではないだろうか。例えば、「今度やったら二度と家の敷居を跨がせない」的な檄は、目標達成への逃げ道を閉ざすことで効果を持つかもしれない。ここでも述べられているように「叱る」の効果は褒めるに比べあまり研究が少ないように感じる。多くの親や管理職にとってはまず知りたい話題のように思えるのであるが。