「過去は変えられないが、未来は変えられる」とか書くとちょっと啓蒙書っぽいタイトルで気恥ずかしくなる。ただ、自身の考えが昔と変わってきたので書き留めておこうと思う。
今、ちょうど話題だからジャニーズ事務所の性加害問題を例に挙げる。しばしば、このような問題に対し、過去への補償・清算に重点が置かれる。もちろん、当事者には重要な話だけど、被害があったという事実が消えてなくなるわけではないし、北公次のようにすでに亡くなっている人にできる補償などあるわけがない。過去は変えたくても変わらない。できるのはせいぜい解釈くらいか。
過去のことは、生きている当事者たちが何らかの合意に基づいて落としどころを決めるしかない。そしてそれがどのような結末を迎えようが社会にとってはあまり重要ではない。
一方で、未来は変えることができる。だから、このような問題が発覚したときに我々、同時代に生きる人間にできるのは、同じような問題が起こらないような仕組みを作ることだけだ。
子供のころ、各種新聞では「戦時中、新聞社は政府に加担し戦争を煽ったことを反省しな繰り返さないようにしなければならない」といった言説をよく見かけた。しかし、今回の対応を見る限り、将来マスコミは同じことを繰り返すだろう、ということが明白になった気がする。いち芸能事務所にすら対抗できない人々が、政府に対抗できるわけがないではないか。
誰が口だけの反省をし、誰がきちんと再発を防止するために行動しているのか、そういう観点から見るようにしたい。