ビジネス書のようなものはある意味「答えのない」内容が書かれている。とはいえ、何冊も読んでいくと、個々の本では明確になっていない事実が立体的になりあぶり出されてくるように感じる。ぼんやりとした状況を手探りで進んでいるが、その方向は皆同じといった感じに。
そうやって気付かされたことのひとつが「才能とは努力を継続できる能力」であるということだ。
昔からエジソンの「1%のひらめきと99%の努力」という言葉や「好きこそものの上手なれ」という格言があったりもしたけれど、結局のところそれが答えだったようだ。才能か、努力か、という二分法がそもそもの間違いの元のような気がする。
以下、根拠を挙げる。
- 才能などというものはない。ある種の努力を続ければ誰でもトッププレイヤーに近いところまで行ける(超一流になるのは才能か努力か?)
- 運動選手の能力は、生まれながらの身体特性に大きく依存する(スポーツ遺伝子は勝者を決めるか? アスリートの科学)
- 運動を習慣にしている人は、そもそも運動が苦にならないタイプである可能性が高い(ダイエットの科学―「これを食べれば健康になる」のウソを暴く)
- グーグル会長のエリック・シュミットによれば、価値を生み企業を成長させる人材に必要な資質は「根気強さ」と「好奇心」(グーグル会長が語った「価値を生み企業を成長させる人材のたった2つの資質」とは)
- 大学卒業時の成績は、大学1年目の成績と強い相関があり入学試験の成績とは相関が見られない(大学成績1年で決まる? 卒業時と一致 東京理科大調査)
- 社員の能力の不確実性は入社後、3〜4年で半減(日本の人事を科学する 因果推論に基づくデータ活用)
前半のトピックと後半のトピックでは逆のことを言っているように思えるかもしれない。しかし、繋げて考えるとその矛盾を解消できる考え方がひとつあることに気付く。
努力をすれば誰でも能力が身につく可能性があるのに、実際には人はそうそう変われない。そしてそれは、自分の身体特性や嗜好性により、努力を傾け続けられなかったということに起因する。
もちろん、努力で苦手を克服した人の記事が目に入ることもある。しかし、それは珍しいから記事になるのだし、努力をできた時点でなんらかの嗜好性があったとも考えられる。
この結論は、人材育成というトピックに大きな疑問を投げかける。あえて教育を止める必要はないかもしれないが、教育を施すだけで人材が育っていくという発想は必ずしも適切ではないのかもしれない。会社の方向性と嗜好性があった人材を獲得したり、成果を上げられない人には嗜好性にあった仕事を割り当てる方がより現実的な対応なのかもしれない。