hidekatsu-izuno 日々の記録

プログラミング、経済政策など伊津野英克が興味あることについて適当に語ります(旧サイト:A.R.N [日記])

才能か努力か(おかわり)

以前のエントリーで「超一流になるのは才能か努力か?」を取り上げたけれども、その後、バランスを取るためにこれも読め、というツィートで紹介されていたのが次の本。

スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?──アスリートの科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?──アスリートの科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 「超一流…」本が努力すれば誰でも一流になれるという本に対して、この本はスポーツには遺伝子が重要であると主張する著者により書かれていて一見対極にある主張に見える。だけれども、読んでみるとむしろ「超一流…」本を補完する内容であることに気付かされる。

この本で書かれていることは、特に身体能力がそのまま成功につながる特に陸上競技のようなスポーツにおいては、遺伝によって形成される身体的特徴が決定的に重要であるということだ。具体的には次のよう例が紹介されている。

  • マラソンランナーは、酸素吸収能力が重要
  • バスケット選手は、身長と身体の横幅が重要
  • 高跳びの選手は、アキレス腱の長さが重要
  • 野球のバッターは、視力が重要

身長や骨格、アキレス腱の長さなどの身体的特徴は、遺伝の影響が極めて大きく、訓練だけでは、その形質を獲得することができない。そのため、トップアスリートになるには、素質が極めて重要になるということのようだ。データからは、幼いころ足の遅い人が、その後の練習によって速くなるケースはないとさえ結論されている。

だが、この本の面白さはそこで終わらないところにある。素質があると考えられるケースであっても、生まれながらにトップアスリート並みの能力を持つ突然変異的な人もいれば、練習量に応じて爆発的に能力が増加するタイプの人もいる、であったり、環境的要因、たとえば毎日ゲームや甘いものに囲まれた生活ではもし素質を持っていたとしても、それを開花させる環境にないため、結果的に貧しい地域の出身者にトップアスリートが生まれやすいという、遺伝子の複雑さやそれをとりまく様々な環境との相互作用が説明される。

さらに、逆のケース、優れた遺伝的形質を持っているが故に上手くいかないケースも紹介されている。サッカーのコーチは皆、足の速いアスリートを求めるが、速筋線維の多い選手は大腿屈筋群を痛め怪我するケースが多く、結果的に速筋線維の少ない選手のみが残ってしまう。痛みを感じない家系の話などは(不謹慎な話ではあるが)とても興味深い。

別の遺伝子が、一〇代のパキスタン人ストリートパフォーマーの才能を追求した科学者によって発見された。

パキスタンのラホールにある病院の関係者は、この少年をよく知っていた。自分の腕にナイフを突き通したり、燃えている炭の上に立ったりした後にやって来ては、傷口を元通りに縫い合わせてもらっていた。ただし、痛みから救うために治療を行ったのではない。少年は痛みをまったく感じることができなかったのだ。

イギリスの遺伝学者が少年を研究するためにパキスタンを訪れる前に、彼は一四歳ですでになくなっていた。友だちの気を引こうとして屋根から飛び降りたのだ。

(中略)

生まれつき痛みに対する感覚がない人間はそれほど長くは生きられない傾向にある。座ったり、眠ったり、立ったりするときに、私たちが無意識にするように体重移動をせず、それがもとで関節感染症を起こして死んでしまうのだ。

この本で語られる内容と「超一流…」本をあわせて考えれば、どこまでが遺伝子の影響で、どこまでが努力の結果なのか、何となく想像できる。結局、コンピュータのハードウェア、ソフトウェアの関係と同じということなのだろう。

ハードウェアの性能は遺伝で決まり、大きくは変えられない。だからハードウェアの能力が決定的に重要な場合には、ソフトウェアでいくらカバーしようとしてもカバーできない。それはファイルI/O性能ではHDDがSSDに太刀打ちできないのと同じことだ。

しかし、いくらSSDのファイルI/O性能が良くても、常に同期書き込みをするようなことをしていたら、HDDにも劣る性能になるかもしれない。性能を活かすには、それ相応のソフトウェアが必要となる。

特にトップアスリートでは、ソフトウェアは極限までチューニングしている状態に等しく差がつかない。だからハードウェアの性能が決定的に重要になる。

一方で、ソフトウェアについては、「頭のでき―決めるのは遺伝か、環境か」などからも、個々の人々でさほど差が出ないことが伺える。実際には遺伝により多少の差はあるのかもしれないが、ソフトウェアはアルゴリズムの優秀さで大きな差が出る。訓練により専用回路を獲得してしまえば、多少の素質の差は問題にならないということなのかもしれない。頭脳や戦術が重要な分野では、「超一流…」本の内容は引き続き有効ということになる。

とはいえ、多少気になる記載もある。それは、「脳科学は人格を変えられるか?」でも議論となっていた楽観的/悲観的、あるいはやる気の部分だ。「超一流…」本では、意志の力の差などない、と結論づけられていたが、本書では少なくともスポーツに関してはもっと運動したいという「やる気」に関する形質が存在することが明らかにされている。誰でも努力すれば成長できるけれども、努力する気持ちは遺伝によって決まっているのだとすると悲しいものがある。では、ドーピングで改善できれば良いのか、というと自由意志の問題にも発展しかねない。なかなか難しい問題だ。 

超一流になるのは才能か努力か?

超一流になるのは才能か努力か?