hidekatsu-izuno 日々の記録

プログラミング、経済政策など伊津野英克が興味あることについて適当に語ります(旧サイト:A.R.N [日記])

工数見積りの海を彷徨う

[2018/07/01 追記] 過去に話題になったこともあり、このページに辿り着く方が多いようなのだが、係数導出の手法については継続的に改善を行っている。現時点では、「工数見積りの海を彷徨う・征服」というエントリに記載した「分位点回帰」を使うのがベストではと考えている。50%分位点が中央値にあたるため係数も安定しており、現在の見積りが過去のプロジェクトと比較してどのくらいの工数なのかが明確でわかりやすい。合わせて参考にしていただきたい。

 


 

工数見積りが難しいのはわかっているのだが、そうは言っても根拠は欲しい。この業界に入ってからずっと考え続けているのだが、やはり難しい。

この手の工数、工期という話題の時、役に立つのは次の資料だ。

素晴らしいことにどちらも PDF 版は無料で配布されているので、ダウンロードして見ることができる。システム開発サイドだけでなく、エンドユーザ側でも有用な資料だと思う。

特に標準工期や各工程の割合に関しては、データの安定性が高くそのまま使える。例えば、標準工期は、人月工数の三乗根に2.4~2.5をかけた数字となる。JUASによれば、標準工期を30%以上下回るプロジェクトは無謀とのことだが、あなたのプロジェクトはいかがだろうか。 

問題は、工数見積りだ。工数は単価をかければそのまま金額になるわけだし、標準工期のベースともなる。一番重要な指標と言える。しかし工数については、データを見ても分散が大きく、IPAでも、あくまで目安として50%の信頼幅に収まっているかを見るのに使ってください、というスタンスを取っている。

JUASはもう少し踏み込み、毎年データから回帰分析を行い総工数の見積りに使える式を算出しているのだが、各年の結果がかなり異なる。例えば、2007年度版では、総工数=1.55×画面数だと書かれている一方、2009年度版では、総工数=1.09×画面数となっている。ここ数年の版に至っては、画面数だけの分析は削除され、画面と帳票での分析のみが掲載されている。同じ機能数なのに工数が50%も違うのでは、見積りチェック用途だとしても使いづらい。

とはいえ以前、システム開発はもっと明朗会計にならなければいけないでも書いたように、FP法と総工数には、分散はあるものの明らかに正の相関が認められる。FP法は「機能」をポイント化しているわけだから、工数は機能を正しく見積ることができればある程度予測できることが想像できる。

このことから考えると、面倒ではあるが、まじめに FP を求めろという話ではあるのだが、実際には FP 法での見積りは次のような理由があって難しい。

  • 概算見積りを求められるのは、RFP(Request For Proposal)提示時など要件定義前の早いタイミングでありエンティティと言った詳細な設計まではとても落とせない。
  • FP法は、機能ごとの見積りではないため、機能数の削減が工数に与える影響を見積るのが極めて困難である。この機能を削るからいくら安くします、などという交渉が難しくなる。

そのため、JUAS 同様、画面、帳票、バッチなどの機能数から概算見積りに落としこむことはできないかと考えてきた。

今まではベースとなる数値はかなり直感に頼って決めていたのだけれど、昨晩 IPA 公開のデータを見ていたら、画面数⇒総工数、帳票数⇒総工数、バッチ数⇒総工数については個別のデータが取得できる事に気づいた。

IPAでは、(画面数、帳票数、バッチ数、総工数)の組み合わせデータは公開されていないが、総工数はプロジェクトごとに異なるわけだからマッチングすれば概ね元通り復元できる(数件、総工数の重複したデータが存在したため、それらについては機能数が多い方に寄せて対処した)。このデータを元に何らかの計算式を導出できないかと考えてみた。

まず、正攻法で重回帰でパラメータを導出してみたのだけれど、帳票の工数が画面より大きかったり、外れ値にかなり影響されていたりとおよそ使える式にはならない。

世の中には様々なシステムが存在しているわけで、とても簡単な画面を大量に作るプロジェクトもあれば、1画面が20人月を越えるような複雑なシステムもあるだろう。また、アンケート形式であるので、データ自体どこまで信頼できるかわからない。画面数がわからないのでメニュー数を使っているケースや数十シートを持つEXCELを1帳票として数えていることも十分に考えられる。

目的としては、一般的で標準的な機能群を持つシステムのために見積の基準を決めたいというところにある。そこで、考え方を変え、次の基準に従って制約を加えることにした。

  • 機能⇒工数ではなく、機能⇒FP⇒工数という過程を通して見積る
  • 画面数、帳票数、バッチ数の標準工数に重みを付ける
  • 機能あたりのFPが離れたものを外れ値として除外する
  • 工数の範囲を一般的なプロジェクトと考えられる10~1000人月の間に制限する

まず、FP⇒工数については、IPA の資料から工数[開発5工程/人時]=4.85×FP^1.13をそのまま使う。

次に画面数、帳票数、バッチ数の重みであるが、以下のような仮定を置いてみる。

  • 標準的な画面の工数は、標準的な帳票の工数の 1.5 倍程度だろう(JUAS の資料でもどこかで、この仮定を置いていたのを見た気がするが、感覚的にはそんなものだろう)
  •  標準的なバッチとしてCSV出力するようなものが考えられる。そのような処理は帳票で言えば簡単なものに括られる。すなわち、標準的なバッチと簡易な帳票の工数は同等だろう。
  • 機能の難易度はIFPUGでは高、中、低の三段階となっており、概ね高=中×1.5、低=中×0.7となっている。

このような仮定を置くと、標準的な画面、帳票、バッチの工数比が 1.5:1.0:0.7 となることが導出できる。

この二つが決まれば、工数から想定FPを逆算した上で、工数比をかけた画面、帳票、バッチ数から単位FPを求め、箱ひげ図を使って外れ値を除外することができる。通常、箱ひげ図を使う場合は、内境界点の外にあるデータを外れ値とするが、画面辺り3人月のようなデータも残ってしまう。そこで25~75パーセンタイルに収まらないデータを外れ値として扱うことにした。

そうやって、ようやくたどり着いたのが次の式となる。

工数[開発5工程/人時]=4.85×(13.77×画面数+9.18×帳票数+6.42×バッチ数)^1.13

難易度を考慮するなら、機能数=1.5×難易度高+難易度中+0.7×難易度低とすればよいかもしれない。なお、括弧の中の数字はそのままIFPUGのFP値となっているはずなので、実測のFP値と比較してみることもできる。

さて、実際のところこの数式は使い物になるのだろうか。もし、使ってみて高く出すぎる、低く出すぎるなどあれば、感想を教えてもらえるとありがたい。

 

【2016/4/26追記】

FP⇒工数の算出式はIPAのものをそのまま用いていたがデータセットは合わせた方がよいだろうという気になり、工数範囲を10~1000人月、FPあたりの工数で外れ値の除外を行った結果、FP⇒工数はほぼ直線となった。規模による工数増が消えてしまったわけだが、規模が増えるにつれて分散が大きく上振れしがちという事情が影響しているということなのかもしれない(単に外れ値除去の結果、平均化されてしまっただけかも)。

結果としては式はシンプルになった。

工数[開発5工程/人時]=12.13×(14.68×画面数+9.79×帳票数+6.85×バッチ数)

前回の式より数値は10%ほど上振れしている。ただ、こちらの方が単純な掛け算なのでわかりやすいかもしれない。1画面あたり 1.11 人月というのは意外と大きいなという印象なのだが、そんなものだろうか。

睡眠を科学する

たまに布団に潜り込んでも目が冴えてまったく眠れないことがあった。心配事があって眠れない、ということも時にはないわけではないけれど、どちらかと言うと、理由もわからずただ眠れない、ということの方が多かった気がする。

最近は、朝日が入るマンションに引っ越して通勤時間が減ったこともあるのか、まったく眠れない、という機会も減ってはいるのだけれど、快眠はQOL的に重要なわけで、うまく実現する方法があれば知りたかった。

先日、Twitter でたまたま紹介されていた本の評判が結構良かったので買ってみたところ、予想外にまともな本だったので内容を紹介したい。

朝型勤務がダメな理由 あなたの睡眠を改善する最新知識

朝型勤務がダメな理由 あなたの睡眠を改善する最新知識

 

 ダイエットにしても、睡眠にしても、この手の本で困るのは、根拠の怪しい言説をやたらと持ち上げるオカルト本が多いことだ。この本もその類かもしれないけどとりあえずむ程度の気持ちで手にとったのだけど、追試が行われていな研究であることを注意していたり、学術的にわかっていないことはきちんとわかっていないと明記されているなど、記述も大変良心的で問題はなさそうだ。

さて、本書は良い本ではあるものの連載をまとめたものであることもあり、要点がわかりにくい。そこで箇条書きで書き出してみると、こんな感じになる。

  • 睡眠傾向には、その人が本来持つ朝型/夜型の体質や必要睡眠量と環境・習慣による変動からなる
  • 朝型/夜型の体質や必要睡眠量は遺伝的影響が大きく変えられない。睡眠量の個人差は必要睡眠量と環境で2:1の割合
  • 目覚めてから16時間以上が経過すると酒気帯び運転を遥かに越えるレベルで注意力やパフォーマンスが低下する。睡眠不足は蓄積し、4時間睡眠を一週間続けると一晩の徹夜と同じレベルの眠気を二周目には三晩徹夜と同じレベルの眠気を感じる。6時間睡眠でも10日を超えると徹夜明けと同じレベルで認知機能が低下する。眠気は一定程度強くなると頭打ちになるが、認知機能は睡眠不足の累積に応じてドンドン低下する(眠たくはなくてもアホになってなるかもしない!)
  • 高校生~大学生の思春期に最も夜型になる。登校時間を遅らせるだけで集中力が上がり、抑うつ感や倦怠感が改善し、健康に対する不安が減り、学習や課題活動へのモチベーションが高まる。成績上位者の割合が34%から50%に急増したとする研究もある
  • 夜勤には生活習慣病やがんに罹患するリスクが増大するなどの健康上のリスクがある。体内時計の調整にはかなり時間がかかり、夜勤に体内時計を合わせるには3週間程度を要する。そのため、夜勤は避けるに越したことはないが、どうしても夜勤に従事する場合は、夜勤の真ん中でカフェインを取り、30分程度の仮眠を取ることが望ましい
  • 覚醒直後の認知機能は徹夜明け以上に低下する
  • 20~22時前後は一日で一番「眠くならない」時間帯。この時間に早寝してもすぐに起きてしまう
  • 就寝前1.5~3時間前にお風呂に入るとよく眠れる。一方でいわゆる快眠グッズはほとんどプラシーボ。ただし、睡眠においてプラシーボ効果はとても大きいので、利用できるならそれに越したことはない。運動によって基礎代謝を高めることで快眠効果を得ることもできるが、3~6ヶ月以上かかる。ただし、一旦達成した場合、安定した睡眠が得られるため地道にチャレンジする価値はある
  • 不眠症は実際に睡眠時間が減るというよりも、睡眠時間が減って感じられる現象。そのため、睡眠薬を飲んでも状況が改善しないことがある。しかし、そのメカニズムはいまだ不明である

個人的には、もっと快眠についての知見を得たかったが、この本を読む限り、快眠についてはまだまだわかっていないことが多いようなのが残念だ。

一方で、この本のタイトルにもある「朝型勤務」の問題はセンセーショナルだ。私の所属する会社も昨今「朝型勤務」を奨励しており、一時期私自身試してみた時期もあるのだが、どうにも眠くなってむしろパフォーマンスが落ちたように感じられ止めてしまった。この本で紹介されている「朝型/夜型のアンケート」によれば私は夜型に近い中間型とのことで、やはり向いてなかったのだろう。

このことに限った話ではないけれども、政府や企業に関わらず、制度設計を行う上でしばしば学術的な知見が無視されるのは残念に思う。科学は万能ではないけれども、わかっていることもあるのだから出来る限り有効に使うべきだろう。

カルビーの失敗から学べること

カルビーがKPI導入の失敗から、それをどのように解決したかという記事を読んだ。

この記事を読んで、最近思っていることがちょうど重なった。

経済学や経営学に限らず、最近はエビデンスを重視する傾向が強まっており、それ自体は根拠もなく勘と経験に頼ってきた過去の反省に基づいているという点で大変よいことではある。しかしながら、一方でエビデンスに頼り過ぎることの弊害を感じることも増えてきた。

それは何か。

古くからあるジョークとして「街灯の下で鍵を探す」というものがあるが、人は得てして客観的に見ようとするあまり、見えやすい問題にばかり注力してしまい、見えにくい問題を無視してしまいがちだ。

物事には客観的に観測しやすいデータと曖昧模糊として表現のしずらい情報が混在している。例えば、営業活動ひとつとっても、訪問回数であったり訪問時間であったりは観測できるが、客先との人間関係の構築のうまさをデータとして表現するのは大変むずかしい。

もし、営業の成果指標を訪問回数や訪問時間として定義し評価軸としてしまうと、そればかりに注力してしまい実際の営業活動の成果は悪化してしまうかもしれない。

多くの会社で売上を伸ばせという目標が立てられているが、これにも同じ問題が隠れている。売上至上主義になると利益度外視で販売してしまいがちになるし、売上は低いが利益率の高いような商品は無視されることになる。利益至上主義にはそこまでは弊害はないかもしれないが、ロングテールや評判といった見えにくい指標を無視しがちであるという点では同様の効果を持つかもしれない。

カルビーが出したこの問題への回答「あくまで指標は結果であり評価基準として使わない」は、妥当な結論だと思う。指標を公開し、それを営業マンが分析する道具という役割に徹するのであれば、営業マンの行動を誤誘導することはない。

私が思ったのは、「ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学」で紹介されていた「優れたビジョンの基準」もその答えになるのではなかろうか、という点だ。バウムらの研究によれば、優れたビジョンには「簡潔明瞭である程度抽象的である」ことが重要であるとされている。

経営者は利益○%を増やせと叱咤するよりも、「我々の製品を使い、世界中の人々を豊かで快適な住環境に貢献する」といった抽象的で方向性のわかるビジョンを示したうえで、営業マンにもあなたはこの一年そのビジョンの実現に貢献したかを問うというのもひとつの解決策かもしれない。

なぜ労働時間規制は政府が行わければならないか

昨今、ブラック企業問題が新聞を賑わせたこともあって、労働時間の上限規制を強める方向に動いている企業も少なからず出てきているらしい。もちろん、これはいいことなのだけれども、労働時間規制は個々の企業に任せていいかのように思うとしたら考えものだ。

なぜ、労働時間規制を政府が行わければならないか。ひとつには、労働時間というものが競争条件のひとつとなっているからだ。もし、ある善良な企業が労働時間に上限を定めたとしても、悪徳ブラック企業がより多く働かせるならば、結果として悪徳ブラック企業の方が競争上有利になり最終的に生き残る確率が上がるかもしれない。しかし、政府が行うならば、どの企業も一律に規制がかけられるので、個々の企業の有利不利に影響しない。

もうひとつ考えられるのは、労働時間に対する他のサービスの依存関係の問題がある。現在の日本では24時間のサービスが当たり前に提供されているが、労働時間規制が厳しい国ではどの店も早い時間に閉まってしまうそうだ。これはサービスレベルの低下ではあるのだが、逆に言えば早い時間に閉まっても、問題なく生活できるような環境になっているとも言える。

労働時間が長かったり、就業時間帯がまちまちだと、社会もそれに見合ったサービスが提供され、結果として長時間労働や変則的な就業時間が増えてしまう。例えば、正月営業などは、予め営業していないとわかっていれば事前に買いに行くのに、営業することで客足が分散しサービス生産性は下がってしまう。もし、政府が一律、正月営業を禁止してしまえば、利便性もさほど低下させず高いサービス生産性を保つことができる。

一方で、労働時間規制を行えば、日本の生産性を低下させてしまうのではないか、と懸念する人がいる。正直、この懸念には根拠がないのではと考える。

労働時間規制で有名なフランスやオーストラリア、ニュージーランドなどどの国を見ても、ひとりあたりの購買力平価換算GDPは日本と同等かそれ以上にあり、労働時間規制がGDPに強く影響しているようには思えない。

また、今の日本の場合、正規雇用労働者の労働時間がかなり長時間になる一方、非正規雇用の増加が平均としての労働時間を緩和するという状況になっている。労働時間規制は、正規雇用者の労働時間を緩和する一方で非正規雇用者に正規雇用者への道を開くことになる。非正規雇用者は企業にとっては便利な存在でも、職務上スキルの向上に繋がりにくく、社会全体としてみた場合、長期的な生産性を下げると考えられている。安い労働力は消費の低下に繋がり結果的に経済を縮小させてしまう。

それ以前の話として、過労死ラインは月80時間の残業とされており、労働者が亡くなったり、働けない状況になれば、貴重な労働力を毀損し長期の生産性を引き下げることは言うまでもない。今の日本では、裁量労働制の導入や36協定さえ結べば合法的に青天井に近い状態を作ることが可能になっており、事実上、労働時間規制が存在しないという異常な状況にあることはもっと知られてもよいように思われる。

少なくとも日本においては労働時間規制は単に労働環境を改善するだけでなく、雇用問題を改善し、長期的な生産性にも寄与する一挙両得の策だと考えられる。

このたび、悪名高き民主党が「長時間労働規制法案」を出すとの話を聞き、及ばずながら援護射撃をしてみたいと思い書いてみた。日本人の求めるサービスレベルの高さもあり、ヨーロッパ並の労働時間規制は難しいかもしれないが、例えば過労死ラインを上限にする程度の規制ならばさほど大きな混乱もなく導入が可能だろう。労働時間規制が結果的に日本経済の成長に寄与するという理解が得られれば幸いに思う。

キチガイ経営者セムラーの経営手法が超合理的だった件

タイトルには多少語弊がある。このエントリを要約するなら「セムラーという経営者はキチガイに違いないと勝手に思い込んで著書を読んでみたら、あまりにも合理的で驚いた」だろうか。ただ、セムラーの経営手法を知れば、あなたもきっとキチガイだと思うだろう。

セムラーを知ったのは「モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか (講談社+α文庫)」の巻末にある次の紹介文を読んだことにはじまる。

Maverick: The Success Story Behind the World's Most Unusual Workplace

(邦訳『セムラーイズム』ソフトバンククリエイティブ、ほか)

多くの上司がコントロールマニアなのに対し、セムラーは最初の自律マニアかもしれない。彼は、ブラジルのセムコというメーカーを、一連の大胆な改革によって一変させた。ほとんどの役員をクビにし、肩書をなくし、三〇〇〇人の従業員に自分で勤務時間を決めさせ、重大な決断では全従業員に投票を認め、一部の従業員には自分で給与額を決めてもよいと認めた。その結果、セムラーの指揮のもと(あるいは無指揮のもとで)、同社はこれまで二〇年にわたり、年間二〇%の成長を続けている。因習を打破するこの効果的な哲学を、彼がどのように実行に移したか、本書と最新刊『The Seven-Day Weekend』(邦訳『奇跡の経営』総合法令出版)で明らかにされる。 

いやはや、狂気の沙汰だ。普通の企業がベスト・プラクティスだと考えていることをすべてやめているどころか、本当にこれで企業の体が保てるのか疑問に思うレベルとも言える。

ただ、最近の個人的興味として「現在、どの企業でも当たり前のように実施されている施策の中には、実際にはおまじないに過ぎず、必要のないものもあるのではないか」という点があり、このセムラーの本を読めば、そのヒントみたいなものが得られるのではないか、と思ったことから著書を買うことにしてみたのだ。

残念ながら『セムラーイズム 全員参加の経営革命 (ソフトバンク文庫)』の方は品切れ状態になっていた(中古も高い)ので、『奇跡の経営 一週間毎日が週末発想のススメ』の方を買って読むことにしてみた。

奇跡の経営 一週間毎日が週末発想のススメ

奇跡の経営 一週間毎日が週末発想のススメ

 

 読んで驚いた。セムラーはなんとキチガイではなかった。それどころか経営学の推奨する方法論を極限まで推し進めた、ある意味「超合理的」とも言うべき経営手法だったのだ。

具体的に説明しよう。

例えば、従業員に自由に時間を決めさせる、という施策があるとする。一見、最近流行りのフレックスタイム制やリモートワーク推進に似たワークライフバランス向上のための福利厚生の話であるかのように思えるが、根本的なところに違いがある。

工場のアセンブリラインにフレックスタイム制を導入したセムラーは「作業現場の基本要件を無視している。アセンブリラインにフレックスタイム制を導入するなどありえない」という批判に対しこのように語る。

 働いているのは、立派なおとなです。そのおとなである作業員が、どうして業務に支障をきたし、自分達の仕事を危うくするような行為をするというのでしょうか?

 ようは、セムラーの施策は究極のモチベーション(内発的動機づけ)向上策にもとづいているわけだ。

現場の人々に任せれば、彼らの中で話し合い、最善の作業時間を自分たちで決めるだろうという発想なのだ。もし、ある従業員が、家庭の事情でアセンブリラインでの時間に合わせられないならば、工場の責任者と調整してもいいし、担当業務を変えてもいい。そもそもセムコ社では、社員自体が自分のやりたい仕事を決めることになっており、会社の基幹業務すら定められていない。自分自身で社内の居場所を創りだすことが求められている。

セムラーはこのようにも言う。

社員全員が、仕事に情熱を持つことを期待してはいけないということです。仕事に情熱を持つ者もいれば、そうでない者もいます。それから、人は時間とともに、それが何であれ、興味を失ってしまうものだということを認識しておく必要があります。 

……すべての仕事が、情熱を持つに値するものではないという現実に目をそむけてはいけません。

 まったくもっともな話だ。この問題を解決するには、たしかに「自分のやりたい仕事を自ら探してくる」ことが最も合理的になる。

社員が、仕事の範囲を自分自身で決めることができるのであれば、仕事に対する満足度はかなり高まります。セムコ社では、社員に、仕事の責任範囲を押し付けることはしません。一人前のおとなとして、彼らは、仕事で何をすべきか理解すると信じていますし、ガイドラインなどないほうが、彼ら自身が自分のすべき仕事の範囲を、試行錯誤しながら学んでくれます。 

 セムコ社では、万事がこの調子だ。経営会議に社員ならば誰でも早いもの順で参加できるし、経営会議の議題の閲覧も業績会議への参加も(清掃スタッフを含む)社内全員が参加できるなど、あらゆることが広く公開されている。ライバル企業と兼務している従業員すら閲覧を許されているのだ。

そんなことをしては、不正が起こるのではないか、と考えるのが普通だろう。

私が思うに、セムコ社の極端な方針がうまく言っているのは、セムラーのリーダーシップにあるように思う。セムラー自身は、この本でも述べられるように、できるかぎり企業への影響力を行使しないよう務めている。しかし、前回のエントリでも書いたように、リーダーに求められるのはビジョンの提供だ。

セムコ社は、セムラーの「社員を信頼せよ、豊かな人生を歩め」というビジョンと行動により、社員を統率している。不正をすれば、その社員が自分の仕事人生に後ろめたさを覚えることになる。そんなバカバカしいことはするな、というのがセムラーの教えだ。セムラーがいちいち指示しなくとも、セムラーのビジョンを是とする社員ひとりひとりがセムラーの代わりとなってセムラーの理想を実現していくことになる。

セムラー社で働けば、最高の職場体験を得られるのに、なぜ悪事を働いてまでそれを捨てる必要があろうか。以前、「Googleから転職したSEO技術者はなぜGoogleのエンジンのバグを突いたSEO手法を売らないのか」、という話題を見かけたが、それを行うことで Google の優れた元同僚達の怒りを買いたくない(し、その手の問題は一時的にしか有効でない)というのがその答えだった。

子供の教育でも何でもそうだが、○○を禁止する、と言われたら誰しも反発するものだ。むしろ、「お天道様が見ている」、であるとか「素晴らしい人生を歩め」、の方がよほど効果があるということだろう。

本書は、セムラーのすごい経営手法だけでなく、セムラーという人の高徳な行動も大変面白かった。たいへん啓蒙的な一冊なので、ぜひ読むことをおすすめしたい。

 

良い管理職の条件

最近、経営系の本から派生して、管理職に関する本をいくつか読んだのでその話を書こうと思う。

管理職とひとことで言っても切り口は多様にあり、一冊で総覧的に読める本には今のところ出会っていない。一方で、「リーダー」とひとこと書かれていても、経営者、中間管理職、プロジェクト・マネージャー、マーケット・リーダーなどその本で主眼が置かれている役割が異なる場合も多く、文脈を考慮しないと間違った解釈をしてしまう場合もあるように思う。そのため、ここで書かれる話は私なりに大胆に解釈した内容を含んでおり、必ずしも学術的な根拠がないかもしれないことに注意してほしい。

なお、このエントリで参考にした文献は以下の通り。

まず、前述のとおり管理職という用語は曖昧なので、どういう観点にフォーカスを当てるか考える必要がある。最初は、経営者、課長以上経営者未満、課長の三つくらいで分けて考えるのが良いのではと思ったが、むしろワーク・ライフ・バランス(WLB)管理職に関する調査の概要と提言に書かれているような

  • 業務マネジメント
  • 部下マネジメント

という切り口で語るのが適当であろうと思うようになった。経営者に近くなればなるほど業務マネジメントの比重が高まり、課長やチームリーダーなど下層にいくほど部下マネジメントの比重が高まると考えれば、組織のマネジメントもプロジェクト・マネージャーもプロダクト・マネージャーも同じ軸で語れる。

ただ、この2分類の捉え方は日本と欧米では違うところがあるようだ。 Rebuild.fm を聞いたりや ワーク・ルールズ!を読む限り、欧米では、この業務マネジメントと部下マネジメントを分離する志向が強いように感じられる。これは「日本の雇用と労働法 (日経文庫)」にあるように、日本的な「職務の定めのないメンバーシップ型」と欧米型の「職務の定めのあるジョブ型」の違いが要因となっているのかもしれない。

日本ではどうしても給与を上げたければ部下マネジメントは必須であるとする傾向が強い。一方で欧米では、例えば管理職とエンジニア職は異なる職種であり、組織階層上の上下関係はあっても、権限、賃金という意味での上下関係はあまり強くないようだ(ただし、管理職とエンジニア職それぞれの職務としての賃金水準の違いや、エンジニア職内での上下関係はある)。Google 社に至ってはそれがさらに徹底される。

グーグルではリーダーシップと肩書きは一致していませんでした。私は最高の業績をあげている部下にリーダーシップを発揮する機会を与え、肩書きの権威なしでリーダーシップを発揮する技術を学べるよう援助したものです(中略)私たちは、肩書き以外でヒエラルキーを表したり強化したりするものも排除した。つまりグーグルでは、再上級幹部であっても新入社員と同じ便益、特典、資源しか受け取らないということだ。

上述の文献を読む限りでは、「部下マネジメント」の文脈において、少なくとも、優秀な末端社員(例えば、優れたプログラマ、優れた営業マン)は、管理職に引き上げるのではなく、管理職と同等(あるいはそれ以上)の給与を持って遇する方が望ましいようだ。これは逆の面からも裏付けられる。Google の人事トップが「良いマネージャーとは何か」を調査した Project Oxygen の結果(Work Rules! から何が学べるか - A.R.N [日記]参照)でも「チームに助言できるだけの重要な技術スキルを持っていること」は、良いリーダーの条件ではあるが、一番重要ではない条件として挙げられている。 

ようは良い「部下マネジメント」を行う上で優れた業務スキルはさほど重要ではないということだ。社員が退社する最大の理由は、給与や仕事のミスマッチなどよりも上司との関係であるというデータもあるようで、良い「部下マネジメント」の実現は会社にとっても重要な要素であるわけだから、不適切な人員配置は大きな損失に繋がってしまう。

では、良い「部下マネジメント」において重要なこととは何か。

それは、マイクロ・マネジメントをやめ、インセンティブ(外的報酬)とモチベーション(内的報酬)に働きかける、ということだ。「モチベーション3.0」では、インセンティブよりもモチベーションの方が重要であるとするものもあるが、インセンティブは金銭的なものに限らず「良いことをした場合には誉める」といったものもあるので、必ずしもどちらがより重要とは言えないように思える。

ただし、インセンティブ(外的報酬)が重視されすぎているのは事実で、例えば「幸福の経済学」では概ね年収800万~1200万で所得から得られる幸福は頭打ちになるとされている。また、金銭や肩書きによって得られた幸福は短期間しか持続しないこともわかっている。経営学でも経営者への高額報酬とその成績にはなんら関連性がないことはよく知られている(このことは教科書的な経済学を使っても限界効用逓減や余暇と消費の選択モデルからも導き出せる話のように思える)。

ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学」では、金銭を与えるということではなく「部下が自分の成果に対して『きちんと評価されている』と満足できることで、そのさらなる行動・成果を促す」ことが重要であると書かれている。以前、「褒めるべきか叱るべきか、それが問題だ。 - hidekatsu-izuno 日々の記録」でも書いたように「行動を促す」ことが重要であり、金銭や役職、誉める/叱るといったことはそのための手段に過ぎないと考えるべきなのだろう。

一方のモチベーション(内的報酬)という面では、「優れたリーダーに学歴は関係ない。Googleが自社社員をデータ分析して得られた意外な知見 | ライフハッカー[日本版]」の記事のように「自主性を重んじる」ことが重要とされており、「部下の自主性をサポートする」のが良い上司であるとされている。同様の指摘は複数の文献に記載されているが、(単純な作業労働ではない)クリエイティブな職種においては特に重要とされている(私がいるシステム開発業界の場合、クリエイティブな職種と呼んでいいのかどうかがむしろ問題かもしれないけれども……)。

また、学術的な理屈はよくわからないが、実務よりの文献の多くで、部下と高い頻度で直接コミニケーションを取る(例えば半期に一回面談を行うなど)ことが非常に有効であると指摘されている。例えば、先日亡くなった岩田聡(元任天堂社長)氏は社長になった後も末端の開発者含め多くの社員と何度も直接ヒアリングしていたそうだ(曰く、「あれはメリットしかない」)。「HARD THINGS」でも、著者が当時の部下に対し「今すぐ部下と面談しないなら、お前はクビだ」と怒鳴りつけるという場面が出てくる。もしかすると、状況把握や仕事の方向性をつかむ最善の方法なのかもしれない。

一方の業務マネジメントであるが、これについて書かれている文献はいずれも同じことしか書かれていないように思える。

それは意外にも「自信満々のように行動し、優れたビジョンを語る」ことだ。一見、具体性のない空虚な話のように思えるが、これこそが決定的に重要だと考えられている。事実、「CEOが優れたビジョンを持っている企業ほど、事後的な成長率が高くなる」という結果が多くの研究で得られているそうだ。

まず「自信満々のように行動し」という部分だが、しょせんひとりの人間ができることなど限られているので物事を成し遂げるには周りの人々の協力が必要となる。そのためには事実であろうとなかろうと「彼は組織や業績をコントロールしている」とみなされる必要がある。影響力がないように見える人には誰も協力などしないというわけだ。

そして「優れたビジョンを語る」という部分では、実際に実現できるかどうかわからなくとも、自信を持って未来を語れば、それを部下はきっと実現できるに違いないと勘違いし努力を重ね、結果として夢のような未来が実現してしまう、という面があるようだ。ソフトバンク孫正義氏などまさにその典型だろう。このことは、「高い企業価値は新奇性の高さが決める」という経営学の結論とも整合的であるように思える。

ただ、この「啓蒙」型リーダーシップは、「不確実性の高い事業環境」では有効に働くものの、「事業環境が安定している」場合にはむしろマイナスに働くとのことなので、足元の事業環境を正しく見極める必要はあるようだ。「HARD THINGS」でも述べられていたように、有事のリーダーと平穏期のリーダーでは異なる能力が求められているということだろうか。

なかなか現実には日々の業務に追われ、良い管理職あるいは良いリーダーシップにはなかなか思いが至らないが、皆、人生の多くの時間を職場で過ごすのであるから、健全で生産的な職場環境を大切にしたいものだ。

2016/3/29 追記

前述の本では出てこなかった「一貫性」というトピックに最近フォーカスが当たっているようだ。

たしかに上司が気まぐれだとどう振る舞えばよいかよくわからない。プロジェクトにおいて見通しを示すことが重要であるように、管理職の振る舞い自体にも見通しを求められているのかもしれない。

Cooking as code

ただのネタなんだけど、cookpadあたりやってくれないかな、という期待を込めて書いてみる。

Twitter を眺めていたら、

という話が出ていた。

おぉ、これはわかりやすい。正直なところ現実のプログラムは複雑過ぎてフローチャートにするとむしろわかりにくくなるのだけど、料理のテキストに比べれば遥かにわかりやすい。さすが情報工学と言われるだけのことはある。

ただ、このフローチャートを見て思ったのは、むしろビジュアル・プログラミング 言語に親和性が高いのじゃなかろうか、と思ったのだ。いや、むしろビジュアルプログラムすらいらない。昨今、Infrastructure as code という概念が流行っているが、その延長線状に cooking as code という世界があってもいいではないか。

1年ほど前、自炊を始めたのだが、最初の一週間は何をやってもしょうゆの味しかしない。いろいろ調味料を増やして多少はマシになったのだけれども、どうにも飽きやすい私という人間には耐えられなかったと見え、結局ほとんどやらなくなってしまった。

もし、料理がプログラミング言語で実現できれば、私にもできるかもしれない。cookpad 上の recipehub からレシピをダウンロードしてビルドすれば料理の出来上がり。自分ごのみの味付けにしたければ、Recipefile を自分用に書き換えればいいみたいな。

もちろん、料理とシステムインフラには大きな違いがある。システムインフラと違って、料理の材料は多様だ。Recipefile をビルドするには自動発注システムや万能料理装置が必要になってしまう……あるいは人力ビルドを行うか。

とはいえ、まずは料理記述を定型化することは、非常に重要なことのように思える。料理記述言語とそのHub化の運用が軌道に乗れば、最適化アルゴリズムを使って、料理手順を効率化したり、よくある手順を共通化(=メソッド化)し提供する企業が生まれるかもしれない(アク抜きメソッド実行済みみたいな)。そこまで実現できれば、昨今の大手飲食チェーンが行っている、最終調理工程以外はすでに料理済みみたいな世界が実現できるかもしれない。

まぁ、本当に意味があるのかはともかく、主婦たちが日々の食事を提供するために必死にプログラムを書き続けるという光景はなかなかにシュールではある。