先日、Mrs. GREEN APPLEのコロンブスという曲のPVが炎上するという騒動があった。コロンブスなど白人に扮した歌手が猿に知識を授けるという内容だそうで、まぁ、それは炎上するわな、と思うけれども今回のエントリでその話をしたいわけではない。
最近、世界史の本を何冊か読んでいて特に思うのだが、歴史を正しく学ぶとはどういうことなのかよくわからなくなってしまった。「いまさら世界史を学んで思ったこと」でも少し書いたけれど世界史は多様な面から語ることができる。時系列、地域、宗教、文化、言語、思想、人種……など様々な切り口が考えられる。日本史だと日本人の視点で理解すればいいのでそこまで解釈の幅はないが、世界史はそうはいかない。どの立場によって見るかでまったく違う言及ができてしまう。
今回騒動になったコロンブスなどまさにそうで、いくつもの語り口が考えられる。
- アメリカ新大陸を見つけた歴史的偉人である。
- 着いたのは今でいうアメリカ大陸本体ではなくサンサルバドル島と南アメリカ大陸内の三角州でアメリカ大陸発見とは言えないのでは。
- コロンブス自体は新大陸を発見したとは思っておらずインドに着いたと思っていたのだから発見とは言えないのでは。
- アメリカ新大陸には原住民がいたのだから、単に異なる文化の人々が出会ったに過ぎないのでは。
- コロンブスは現地で略奪や奴隷貿易を行っていたわけで最低の人間であり評価に値しないのでは。
- それは現代的価値観でコロンブスを見てるからで適切な評価と言えないのでは。
- コロンブスは当時から逮捕の後、本国送還されているので、当時から最低な人間と言う評価だったのでは。
- コロンブスが略奪や奴隷貿易をしているから問題という発想自体が西洋的な見方で、発見される側である日本人がそれを気にする必要はないのでは。
- コロンブスの側の視点に立ってる時点で名誉白人の視点なのでは。
- コロンブス交換が世界に与えたインパクトが大きいことには変わりないのでは。
- コロンブス交換の影響をコロンブスひとりに押し付けるのは間違っているのでは。
コロンブスがサンサルバドル島とその周辺にたどり着いた歴史的事実には変わりない。しかし、その評価は多様だ。コロンブスという一項目ですらこうなのだ。
実際、読んだ世界史の本は同じような出来事を扱っていながら、微妙に強調ポイントが異なっていたように思う。そもそも世界史において「正しい歴史感」というもの自体が幻想なのかもしれないけれど。