hidekatsu-izuno 日々の記録

プログラミング、経済政策など伊津野英克が興味あることについて適当に語ります(旧サイト:A.R.N [日記])

ガルム・ウォーズ見てきたよ

私を含むある一定の世代の人々にとって押井守は崇拝される存在である。実際のところ、宮﨑駿の圧倒的な認知度に比べ、押井守の世間的な知名度が低いことは請け合いなのだが、クリエイター系の人々への影響という意味では宮﨑駿を遥かに凌ぐ。映画「攻殻機動隊」の複数のシーンがまんま「マトリックス」にパクられているのは有名な話だが、パトレイバーの影響下で作られた「踊る大捜査線」など、その影響はハリウッドや日本の大ヒット作にも及んでいる。アニメーションにおいても、レイアウトシステムや広角レンズを用いた演出は押井守作品の影響と言っていい。歴史的な側面では、パトレイバー2が地下鉄サリン事件の予言的作品となったことも挙げて良いだろう。

近年、インターネットの発達でパクリが顕在化し問題になることが多いが多いが、町山智浩氏の様々な映画の解説を聞くと、映画のパクリは、むしろ和歌の本歌取りに近く、2時間という限られた時間の中で映画に意図を込める重要な役割を果たしていると考えた方が良いのだろうと考えるようになった(押井映画にも古いヨーロッパ映画からの引用が多数あるようだ)。

そういう意味で、多くの映画監督に引用された押井守の映画史における役割は、日本人クリエーターの中でもトップクラス。黒澤、小津に匹敵する人物と言っても過言ではない。

さて、もちろんこの後、ガルム・ウォーズについて語るわけだが、同じ調子で褒めるわけでは当然ない。この作品を見て、押井守という人物を過小評価してほしくないだけだ。私はアサルト・ガールズを基準に見に行ったので、予想外に素晴らしいものが見れたと感じたが、古き良き押井映画を期待したならば残念としか言いようのないものだったと想像するし、普通の映画ファンであればなんじゃこりゃと思っても不思議ではない代物ではあった。

近年の押井映画の評価の難しさは、天野喜孝のイラストのそれと近いものがある。たしかにこの作品は押井守以外の映画監督には決して作れないものである。その意味で凡庸ではない。しかしながら、素晴らしいかと言われれば、否定の言葉しか出てこないだろう。

まず映像。そのビジュアルイメージはやはり圧倒的で、今作でも航空機や巨神兵、ラスボスのデザインなど素晴らしいものがある。もし、これが新作ゲームのOP映像であれば心踊ること請け合いだ。しかしながら、これは映画なのだ。押井映画でのCGの使い方はいつもテカテカでゲームのOPみたいに見えてしまう。さらに問題なのは、どうもインタビューなどを見る限り、映像的には押井守のお眼鏡にかなう代物らしい。この映像が正解ならば、イノセンス以降CG表現が改善されないのも納得ではある。アニメーションの表現においては、あれほどまでにリアリティある作品作りができるにもかかわらず、実写やCGにおいてはなぜそこまで感覚がずれてしまうのか。

次に脚本。とてつもなく凡庸なだけでなく、人物描写も不自然で、80年代OVAを見ている気持ちになってしまった。押井守に言わせれば神話とはそんなものだ、ということかもしれないが、観客は古代の神話の授業を聞きに来ているわけではない。それに加え、自己パロディが散見されるのにも辟易とする。実写版パトレイバーはそういう作品だから良いとしても、まるで攻殻機動隊、まるでレイバー2、まるでスカイ・クロラ、と過去の作品の焼き直しのような要素が多すぎる(巨神兵に至っては押井作品ですらない)。これらの自己パロディ的な要素をもって、ガルム・ウォーズを押井監督の集大成と呼ぶ人もいるようだが、それは「夢」を黒澤明の集大成と呼ぶようなものだ。集大成とは、宮﨑駿における「風たちぬ」のような作品にこそふさわしい。

そして演出。いくら何でも冒頭からあらすじで説明はなかろう。そして犬。私とて押井映画のファンであるから、現実の身体の体現者としてバセットハウンドを出した意図は理解できるにしろ、映像としては違和感しかない。いつもの押井映画要素とはいえ、ここまで重要な役割を持って全面に出されるとさすがに唖然とする。いや、むしろ、これは古くからある、愛人の女優を抜擢する映画監督のそれなのか。

前述のとおり、見る前から期待していなかったため怒りは特に感じていない、川井憲次のすばらしい音楽に合わせかっこいい映像が流れるという意味で、むしろ鑑賞はとても快適だった。ただ、ひとつの時代を作った偉大な映画監督の才能が急激に減衰していくのを見て、とても寂しく思った。そのことを書いておきたかった。

GARM WARS 白銀の審問艦

GARM WARS 白銀の審問艦

 

 

続・工数見積りの海を彷徨う(ロバスト回帰編)

前回のエントリでは、通常の回帰分析を用いて、機能数から工数を算出したが、その結果を見ると、経験的な工数に比べ、多少高めに出ているのではないという疑念があり、改善の余地があるのではないかと考えていた。

勘と経験よりもデータから求められた結果の方が正しいと思われるかもしれないが、まったく根拠がないわけではない。例えば、FP値(IFPUG/新規開発)のデータ群を見ると、平均値 1,798 に対し中央値 878 となっており倍近い開きがある。一般に平均値よりも中央値の方がよりデータ全体の実態を表していると考えられている。

前回のエントリの結論は、通常の回帰分析手法を用いている以上、外れ値は除去したとはいえ、まだ平均値的な値に寄っている可能性がある。

というわけで、引き続き調べていたところ、ロバスト回帰という外れ値や誤差に強い分析手法があることを知った。そもそもの話として通常の回帰分析は外れ値に強く影響されるため、誤差が正規分布していると仮定できない場合には適用すること自体が不適切であるようだ。

さすがにロバスト回帰分析を行うとなると、EXCELではつらい。ということで今回は R を使うことにした。

まず、画面数、帳票数、バッチ数と工数[人時]にロバスト回帰を行う。

> lmrob(MH ~ VC + RC + BC - 1, data_all, setting="KS2014")

Call:
lmrob(formula = MH ~ VC + RC + BC - 1, data = data_all, setting = "KS2014")
 \--> method = "SMDM"
Coefficients:
    VC      RC      BC  
 86.36  118.69   56.22

この結果に従えば、次のようになる。

工数[開発5工程/人時]=86.36×画面数+118.69×帳票数+56.22×バッチ数

前回、重回帰分析をした場合同様、帳票の係数の方が画面よりも大きい。しかしこの係数自体は、あまり信用出来ない。例えば、データを500人月以下に絞ると次のようになる。

> lmrob(MH ~ VC + RC + BC - 1, subset(data_all, MH < 80000), setting="KS2014")

Call:
lmrob(formula = MH ~ VC + RC + BC - 1, data = subset(data_all, MH < 80000),     setting = "KS2014")
 \--> method = "SMDM"
Coefficients:
   VC     RC     BC  
89.74  83.71  54.99

たまたま、大きめのプロジェクトに複雑な帳票が多かったのではないかと思われる(あるいは大規模な業務システムほど、複雑な帳票が増える傾向にあるということかもしれない)。

恣意的ではあるが、今回も係数は画面:帳票:バッチ=1.5:1.0:0.7 を使うことにする(この関係の導出については引き続き課題として残っている)。

> lmrob(MH ~ FC - 1, transform(data_all, FC = 1.5 * VC + RC + 0.7 * BC), setting="KS2014")

Call:
lmrob(formula = MH ~ FC - 1, data = transform(data_all, FC = 1.5 * VC + RC +     0.7 * BC), setting = "KS2014")
 \--> method = "SMDM"
Coefficients:
   FC  
70.63

この結果から式は次のようになる。

工数[開発5工程/人時]=105.95×画面数+70.63×帳票数+49.44×バッチ数

1画面あたり0.66 人月(=105.95/160)。経験的には結構いい線を突いているのではという感じがある。

f:id:hidekatsu-izuno:20160429233333p:plain

規模の係数についてはよくわからない(累乗モデルを適用すると累乗が 1 以下になる)。データを眺めてみたが、規模が大きくなるにつれ係数が大きくなる傾向はあるが、分散だけが広がっているようにも見える。

なお、FP(IFPUG/新規開発)⇒工数の関係についてもロバスト回帰にて求めた。

> lmrob(MH ~ FP - 1, data_fp, setting="KS2014")

Call:
lmrob(formula = MH ~ FP - 1, data = data_fp, setting = "KS2014")
 \--> method = "SMDM"
Coefficients:
   FP  
15.12

FP値から工数を求める場合は、次の式で計算できることになる。

工数[開発5工程/人時]=15.12×FP値

さて、この結果をどのように考えるべきだろうか。おそらく、前回の結果は間違いというよりもリスクを含めた上での平均的な工数見積になっていて、それに対し今回の結果は大半のプロジェクトにとって妥当な工数が見積れていると考えられる。

システム開発プロジェクトは、妥当な見積り工数から見て5倍は上振れする場合があり、妥当な見積りが出せるだけでは十分ではなく、リスク管理がとても重要であるというある意味誰もが知っている話に落ち着く。

1.5倍程度の開きであれば創意工夫でなんとかなる部分もありそうだが、5倍の開きともなるとどうにもならない。リスクがあるならばそれに見合った見積りを出し、それが望めないならば断るということをしない限り、プロジェクトの成功はとても望めそうもない。

工数見積りの海を彷徨う

[2018/07/01 追記] 過去に話題になったこともあり、このページに辿り着く方が多いようなのだが、係数導出の手法については継続的に改善を行っている。現時点では、「工数見積りの海を彷徨う・征服」というエントリに記載した「分位点回帰」を使うのがベストではと考えている。50%分位点が中央値にあたるため係数も安定しており、現在の見積りが過去のプロジェクトと比較してどのくらいの工数なのかが明確でわかりやすい。合わせて参考にしていただきたい。

 


 

工数見積りが難しいのはわかっているのだが、そうは言っても根拠は欲しい。この業界に入ってからずっと考え続けているのだが、やはり難しい。

この手の工数、工期という話題の時、役に立つのは次の資料だ。

素晴らしいことにどちらも PDF 版は無料で配布されているので、ダウンロードして見ることができる。システム開発サイドだけでなく、エンドユーザ側でも有用な資料だと思う。

特に標準工期や各工程の割合に関しては、データの安定性が高くそのまま使える。例えば、標準工期は、人月工数の三乗根に2.4~2.5をかけた数字となる。JUASによれば、標準工期を30%以上下回るプロジェクトは無謀とのことだが、あなたのプロジェクトはいかがだろうか。 

問題は、工数見積りだ。工数は単価をかければそのまま金額になるわけだし、標準工期のベースともなる。一番重要な指標と言える。しかし工数については、データを見ても分散が大きく、IPAでも、あくまで目安として50%の信頼幅に収まっているかを見るのに使ってください、というスタンスを取っている。

JUASはもう少し踏み込み、毎年データから回帰分析を行い総工数の見積りに使える式を算出しているのだが、各年の結果がかなり異なる。例えば、2007年度版では、総工数=1.55×画面数だと書かれている一方、2009年度版では、総工数=1.09×画面数となっている。ここ数年の版に至っては、画面数だけの分析は削除され、画面と帳票での分析のみが掲載されている。同じ機能数なのに工数が50%も違うのでは、見積りチェック用途だとしても使いづらい。

とはいえ以前、システム開発はもっと明朗会計にならなければいけないでも書いたように、FP法と総工数には、分散はあるものの明らかに正の相関が認められる。FP法は「機能」をポイント化しているわけだから、工数は機能を正しく見積ることができればある程度予測できることが想像できる。

このことから考えると、面倒ではあるが、まじめに FP を求めろという話ではあるのだが、実際には FP 法での見積りは次のような理由があって難しい。

  • 概算見積りを求められるのは、RFP(Request For Proposal)提示時など要件定義前の早いタイミングでありエンティティと言った詳細な設計まではとても落とせない。
  • FP法は、機能ごとの見積りではないため、機能数の削減が工数に与える影響を見積るのが極めて困難である。この機能を削るからいくら安くします、などという交渉が難しくなる。

そのため、JUAS 同様、画面、帳票、バッチなどの機能数から概算見積りに落としこむことはできないかと考えてきた。

今まではベースとなる数値はかなり直感に頼って決めていたのだけれど、昨晩 IPA 公開のデータを見ていたら、画面数⇒総工数、帳票数⇒総工数、バッチ数⇒総工数については個別のデータが取得できる事に気づいた。

IPAでは、(画面数、帳票数、バッチ数、総工数)の組み合わせデータは公開されていないが、総工数はプロジェクトごとに異なるわけだからマッチングすれば概ね元通り復元できる(数件、総工数の重複したデータが存在したため、それらについては機能数が多い方に寄せて対処した)。このデータを元に何らかの計算式を導出できないかと考えてみた。

まず、正攻法で重回帰でパラメータを導出してみたのだけれど、帳票の工数が画面より大きかったり、外れ値にかなり影響されていたりとおよそ使える式にはならない。

世の中には様々なシステムが存在しているわけで、とても簡単な画面を大量に作るプロジェクトもあれば、1画面が20人月を越えるような複雑なシステムもあるだろう。また、アンケート形式であるので、データ自体どこまで信頼できるかわからない。画面数がわからないのでメニュー数を使っているケースや数十シートを持つEXCELを1帳票として数えていることも十分に考えられる。

目的としては、一般的で標準的な機能群を持つシステムのために見積の基準を決めたいというところにある。そこで、考え方を変え、次の基準に従って制約を加えることにした。

  • 機能⇒工数ではなく、機能⇒FP⇒工数という過程を通して見積る
  • 画面数、帳票数、バッチ数の標準工数に重みを付ける
  • 機能あたりのFPが離れたものを外れ値として除外する
  • 工数の範囲を一般的なプロジェクトと考えられる10~1000人月の間に制限する

まず、FP⇒工数については、IPA の資料から工数[開発5工程/人時]=4.85×FP^1.13をそのまま使う。

次に画面数、帳票数、バッチ数の重みであるが、以下のような仮定を置いてみる。

  • 標準的な画面の工数は、標準的な帳票の工数の 1.5 倍程度だろう(JUAS の資料でもどこかで、この仮定を置いていたのを見た気がするが、感覚的にはそんなものだろう)
  •  標準的なバッチとしてCSV出力するようなものが考えられる。そのような処理は帳票で言えば簡単なものに括られる。すなわち、標準的なバッチと簡易な帳票の工数は同等だろう。
  • 機能の難易度はIFPUGでは高、中、低の三段階となっており、概ね高=中×1.5、低=中×0.7となっている。

このような仮定を置くと、標準的な画面、帳票、バッチの工数比が 1.5:1.0:0.7 となることが導出できる。

この二つが決まれば、工数から想定FPを逆算した上で、工数比をかけた画面、帳票、バッチ数から単位FPを求め、箱ひげ図を使って外れ値を除外することができる。通常、箱ひげ図を使う場合は、内境界点の外にあるデータを外れ値とするが、画面辺り3人月のようなデータも残ってしまう。そこで25~75パーセンタイルに収まらないデータを外れ値として扱うことにした。

そうやって、ようやくたどり着いたのが次の式となる。

工数[開発5工程/人時]=4.85×(13.77×画面数+9.18×帳票数+6.42×バッチ数)^1.13

難易度を考慮するなら、機能数=1.5×難易度高+難易度中+0.7×難易度低とすればよいかもしれない。なお、括弧の中の数字はそのままIFPUGのFP値となっているはずなので、実測のFP値と比較してみることもできる。

さて、実際のところこの数式は使い物になるのだろうか。もし、使ってみて高く出すぎる、低く出すぎるなどあれば、感想を教えてもらえるとありがたい。

 

【2016/4/26追記】

FP⇒工数の算出式はIPAのものをそのまま用いていたがデータセットは合わせた方がよいだろうという気になり、工数範囲を10~1000人月、FPあたりの工数で外れ値の除外を行った結果、FP⇒工数はほぼ直線となった。規模による工数増が消えてしまったわけだが、規模が増えるにつれて分散が大きく上振れしがちという事情が影響しているということなのかもしれない(単に外れ値除去の結果、平均化されてしまっただけかも)。

結果としては式はシンプルになった。

工数[開発5工程/人時]=12.13×(14.68×画面数+9.79×帳票数+6.85×バッチ数)

前回の式より数値は10%ほど上振れしている。ただ、こちらの方が単純な掛け算なのでわかりやすいかもしれない。1画面あたり 1.11 人月というのは意外と大きいなという印象なのだが、そんなものだろうか。

睡眠を科学する

たまに布団に潜り込んでも目が冴えてまったく眠れないことがあった。心配事があって眠れない、ということも時にはないわけではないけれど、どちらかと言うと、理由もわからずただ眠れない、ということの方が多かった気がする。

最近は、朝日が入るマンションに引っ越して通勤時間が減ったこともあるのか、まったく眠れない、という機会も減ってはいるのだけれど、快眠はQOL的に重要なわけで、うまく実現する方法があれば知りたかった。

先日、Twitter でたまたま紹介されていた本の評判が結構良かったので買ってみたところ、予想外にまともな本だったので内容を紹介したい。

朝型勤務がダメな理由 あなたの睡眠を改善する最新知識

朝型勤務がダメな理由 あなたの睡眠を改善する最新知識

 

 ダイエットにしても、睡眠にしても、この手の本で困るのは、根拠の怪しい言説をやたらと持ち上げるオカルト本が多いことだ。この本もその類かもしれないけどとりあえずむ程度の気持ちで手にとったのだけど、追試が行われていな研究であることを注意していたり、学術的にわかっていないことはきちんとわかっていないと明記されているなど、記述も大変良心的で問題はなさそうだ。

さて、本書は良い本ではあるものの連載をまとめたものであることもあり、要点がわかりにくい。そこで箇条書きで書き出してみると、こんな感じになる。

  • 睡眠傾向には、その人が本来持つ朝型/夜型の体質や必要睡眠量と環境・習慣による変動からなる
  • 朝型/夜型の体質や必要睡眠量は遺伝的影響が大きく変えられない。睡眠量の個人差は必要睡眠量と環境で2:1の割合
  • 目覚めてから16時間以上が経過すると酒気帯び運転を遥かに越えるレベルで注意力やパフォーマンスが低下する。睡眠不足は蓄積し、4時間睡眠を一週間続けると一晩の徹夜と同じレベルの眠気を二周目には三晩徹夜と同じレベルの眠気を感じる。6時間睡眠でも10日を超えると徹夜明けと同じレベルで認知機能が低下する。眠気は一定程度強くなると頭打ちになるが、認知機能は睡眠不足の累積に応じてドンドン低下する(眠たくはなくてもアホになってなるかもしない!)
  • 高校生~大学生の思春期に最も夜型になる。登校時間を遅らせるだけで集中力が上がり、抑うつ感や倦怠感が改善し、健康に対する不安が減り、学習や課題活動へのモチベーションが高まる。成績上位者の割合が34%から50%に急増したとする研究もある
  • 夜勤には生活習慣病やがんに罹患するリスクが増大するなどの健康上のリスクがある。体内時計の調整にはかなり時間がかかり、夜勤に体内時計を合わせるには3週間程度を要する。そのため、夜勤は避けるに越したことはないが、どうしても夜勤に従事する場合は、夜勤の真ん中でカフェインを取り、30分程度の仮眠を取ることが望ましい
  • 覚醒直後の認知機能は徹夜明け以上に低下する
  • 20~22時前後は一日で一番「眠くならない」時間帯。この時間に早寝してもすぐに起きてしまう
  • 就寝前1.5~3時間前にお風呂に入るとよく眠れる。一方でいわゆる快眠グッズはほとんどプラシーボ。ただし、睡眠においてプラシーボ効果はとても大きいので、利用できるならそれに越したことはない。運動によって基礎代謝を高めることで快眠効果を得ることもできるが、3~6ヶ月以上かかる。ただし、一旦達成した場合、安定した睡眠が得られるため地道にチャレンジする価値はある
  • 不眠症は実際に睡眠時間が減るというよりも、睡眠時間が減って感じられる現象。そのため、睡眠薬を飲んでも状況が改善しないことがある。しかし、そのメカニズムはいまだ不明である

個人的には、もっと快眠についての知見を得たかったが、この本を読む限り、快眠についてはまだまだわかっていないことが多いようなのが残念だ。

一方で、この本のタイトルにもある「朝型勤務」の問題はセンセーショナルだ。私の所属する会社も昨今「朝型勤務」を奨励しており、一時期私自身試してみた時期もあるのだが、どうにも眠くなってむしろパフォーマンスが落ちたように感じられ止めてしまった。この本で紹介されている「朝型/夜型のアンケート」によれば私は夜型に近い中間型とのことで、やはり向いてなかったのだろう。

このことに限った話ではないけれども、政府や企業に関わらず、制度設計を行う上でしばしば学術的な知見が無視されるのは残念に思う。科学は万能ではないけれども、わかっていることもあるのだから出来る限り有効に使うべきだろう。

カルビーの失敗から学べること

カルビーがKPI導入の失敗から、それをどのように解決したかという記事を読んだ。

この記事を読んで、最近思っていることがちょうど重なった。

経済学や経営学に限らず、最近はエビデンスを重視する傾向が強まっており、それ自体は根拠もなく勘と経験に頼ってきた過去の反省に基づいているという点で大変よいことではある。しかしながら、一方でエビデンスに頼り過ぎることの弊害を感じることも増えてきた。

それは何か。

古くからあるジョークとして「街灯の下で鍵を探す」というものがあるが、人は得てして客観的に見ようとするあまり、見えやすい問題にばかり注力してしまい、見えにくい問題を無視してしまいがちだ。

物事には客観的に観測しやすいデータと曖昧模糊として表現のしずらい情報が混在している。例えば、営業活動ひとつとっても、訪問回数であったり訪問時間であったりは観測できるが、客先との人間関係の構築のうまさをデータとして表現するのは大変むずかしい。

もし、営業の成果指標を訪問回数や訪問時間として定義し評価軸としてしまうと、そればかりに注力してしまい実際の営業活動の成果は悪化してしまうかもしれない。

多くの会社で売上を伸ばせという目標が立てられているが、これにも同じ問題が隠れている。売上至上主義になると利益度外視で販売してしまいがちになるし、売上は低いが利益率の高いような商品は無視されることになる。利益至上主義にはそこまでは弊害はないかもしれないが、ロングテールや評判といった見えにくい指標を無視しがちであるという点では同様の効果を持つかもしれない。

カルビーが出したこの問題への回答「あくまで指標は結果であり評価基準として使わない」は、妥当な結論だと思う。指標を公開し、それを営業マンが分析する道具という役割に徹するのであれば、営業マンの行動を誤誘導することはない。

私が思ったのは、「ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学」で紹介されていた「優れたビジョンの基準」もその答えになるのではなかろうか、という点だ。バウムらの研究によれば、優れたビジョンには「簡潔明瞭である程度抽象的である」ことが重要であるとされている。

経営者は利益○%を増やせと叱咤するよりも、「我々の製品を使い、世界中の人々を豊かで快適な住環境に貢献する」といった抽象的で方向性のわかるビジョンを示したうえで、営業マンにもあなたはこの一年そのビジョンの実現に貢献したかを問うというのもひとつの解決策かもしれない。

なぜ労働時間規制は政府が行わければならないか

昨今、ブラック企業問題が新聞を賑わせたこともあって、労働時間の上限規制を強める方向に動いている企業も少なからず出てきているらしい。もちろん、これはいいことなのだけれども、労働時間規制は個々の企業に任せていいかのように思うとしたら考えものだ。

なぜ、労働時間規制を政府が行わければならないか。ひとつには、労働時間というものが競争条件のひとつとなっているからだ。もし、ある善良な企業が労働時間に上限を定めたとしても、悪徳ブラック企業がより多く働かせるならば、結果として悪徳ブラック企業の方が競争上有利になり最終的に生き残る確率が上がるかもしれない。しかし、政府が行うならば、どの企業も一律に規制がかけられるので、個々の企業の有利不利に影響しない。

もうひとつ考えられるのは、労働時間に対する他のサービスの依存関係の問題がある。現在の日本では24時間のサービスが当たり前に提供されているが、労働時間規制が厳しい国ではどの店も早い時間に閉まってしまうそうだ。これはサービスレベルの低下ではあるのだが、逆に言えば早い時間に閉まっても、問題なく生活できるような環境になっているとも言える。

労働時間が長かったり、就業時間帯がまちまちだと、社会もそれに見合ったサービスが提供され、結果として長時間労働や変則的な就業時間が増えてしまう。例えば、正月営業などは、予め営業していないとわかっていれば事前に買いに行くのに、営業することで客足が分散しサービス生産性は下がってしまう。もし、政府が一律、正月営業を禁止してしまえば、利便性もさほど低下させず高いサービス生産性を保つことができる。

一方で、労働時間規制を行えば、日本の生産性を低下させてしまうのではないか、と懸念する人がいる。正直、この懸念には根拠がないのではと考える。

労働時間規制で有名なフランスやオーストラリア、ニュージーランドなどどの国を見ても、ひとりあたりの購買力平価換算GDPは日本と同等かそれ以上にあり、労働時間規制がGDPに強く影響しているようには思えない。

また、今の日本の場合、正規雇用労働者の労働時間がかなり長時間になる一方、非正規雇用の増加が平均としての労働時間を緩和するという状況になっている。労働時間規制は、正規雇用者の労働時間を緩和する一方で非正規雇用者に正規雇用者への道を開くことになる。非正規雇用者は企業にとっては便利な存在でも、職務上スキルの向上に繋がりにくく、社会全体としてみた場合、長期的な生産性を下げると考えられている。安い労働力は消費の低下に繋がり結果的に経済を縮小させてしまう。

それ以前の話として、過労死ラインは月80時間の残業とされており、労働者が亡くなったり、働けない状況になれば、貴重な労働力を毀損し長期の生産性を引き下げることは言うまでもない。今の日本では、裁量労働制の導入や36協定さえ結べば合法的に青天井に近い状態を作ることが可能になっており、事実上、労働時間規制が存在しないという異常な状況にあることはもっと知られてもよいように思われる。

少なくとも日本においては労働時間規制は単に労働環境を改善するだけでなく、雇用問題を改善し、長期的な生産性にも寄与する一挙両得の策だと考えられる。

このたび、悪名高き民主党が「長時間労働規制法案」を出すとの話を聞き、及ばずながら援護射撃をしてみたいと思い書いてみた。日本人の求めるサービスレベルの高さもあり、ヨーロッパ並の労働時間規制は難しいかもしれないが、例えば過労死ラインを上限にする程度の規制ならばさほど大きな混乱もなく導入が可能だろう。労働時間規制が結果的に日本経済の成長に寄与するという理解が得られれば幸いに思う。

キチガイ経営者セムラーの経営手法が超合理的だった件

タイトルには多少語弊がある。このエントリを要約するなら「セムラーという経営者はキチガイに違いないと勝手に思い込んで著書を読んでみたら、あまりにも合理的で驚いた」だろうか。ただ、セムラーの経営手法を知れば、あなたもきっとキチガイだと思うだろう。

セムラーを知ったのは「モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか (講談社+α文庫)」の巻末にある次の紹介文を読んだことにはじまる。

Maverick: The Success Story Behind the World's Most Unusual Workplace

(邦訳『セムラーイズム』ソフトバンククリエイティブ、ほか)

多くの上司がコントロールマニアなのに対し、セムラーは最初の自律マニアかもしれない。彼は、ブラジルのセムコというメーカーを、一連の大胆な改革によって一変させた。ほとんどの役員をクビにし、肩書をなくし、三〇〇〇人の従業員に自分で勤務時間を決めさせ、重大な決断では全従業員に投票を認め、一部の従業員には自分で給与額を決めてもよいと認めた。その結果、セムラーの指揮のもと(あるいは無指揮のもとで)、同社はこれまで二〇年にわたり、年間二〇%の成長を続けている。因習を打破するこの効果的な哲学を、彼がどのように実行に移したか、本書と最新刊『The Seven-Day Weekend』(邦訳『奇跡の経営』総合法令出版)で明らかにされる。 

いやはや、狂気の沙汰だ。普通の企業がベスト・プラクティスだと考えていることをすべてやめているどころか、本当にこれで企業の体が保てるのか疑問に思うレベルとも言える。

ただ、最近の個人的興味として「現在、どの企業でも当たり前のように実施されている施策の中には、実際にはおまじないに過ぎず、必要のないものもあるのではないか」という点があり、このセムラーの本を読めば、そのヒントみたいなものが得られるのではないか、と思ったことから著書を買うことにしてみたのだ。

残念ながら『セムラーイズム 全員参加の経営革命 (ソフトバンク文庫)』の方は品切れ状態になっていた(中古も高い)ので、『奇跡の経営 一週間毎日が週末発想のススメ』の方を買って読むことにしてみた。

奇跡の経営 一週間毎日が週末発想のススメ

奇跡の経営 一週間毎日が週末発想のススメ

 

 読んで驚いた。セムラーはなんとキチガイではなかった。それどころか経営学の推奨する方法論を極限まで推し進めた、ある意味「超合理的」とも言うべき経営手法だったのだ。

具体的に説明しよう。

例えば、従業員に自由に時間を決めさせる、という施策があるとする。一見、最近流行りのフレックスタイム制やリモートワーク推進に似たワークライフバランス向上のための福利厚生の話であるかのように思えるが、根本的なところに違いがある。

工場のアセンブリラインにフレックスタイム制を導入したセムラーは「作業現場の基本要件を無視している。アセンブリラインにフレックスタイム制を導入するなどありえない」という批判に対しこのように語る。

 働いているのは、立派なおとなです。そのおとなである作業員が、どうして業務に支障をきたし、自分達の仕事を危うくするような行為をするというのでしょうか?

 ようは、セムラーの施策は究極のモチベーション(内発的動機づけ)向上策にもとづいているわけだ。

現場の人々に任せれば、彼らの中で話し合い、最善の作業時間を自分たちで決めるだろうという発想なのだ。もし、ある従業員が、家庭の事情でアセンブリラインでの時間に合わせられないならば、工場の責任者と調整してもいいし、担当業務を変えてもいい。そもそもセムコ社では、社員自体が自分のやりたい仕事を決めることになっており、会社の基幹業務すら定められていない。自分自身で社内の居場所を創りだすことが求められている。

セムラーはこのようにも言う。

社員全員が、仕事に情熱を持つことを期待してはいけないということです。仕事に情熱を持つ者もいれば、そうでない者もいます。それから、人は時間とともに、それが何であれ、興味を失ってしまうものだということを認識しておく必要があります。 

……すべての仕事が、情熱を持つに値するものではないという現実に目をそむけてはいけません。

 まったくもっともな話だ。この問題を解決するには、たしかに「自分のやりたい仕事を自ら探してくる」ことが最も合理的になる。

社員が、仕事の範囲を自分自身で決めることができるのであれば、仕事に対する満足度はかなり高まります。セムコ社では、社員に、仕事の責任範囲を押し付けることはしません。一人前のおとなとして、彼らは、仕事で何をすべきか理解すると信じていますし、ガイドラインなどないほうが、彼ら自身が自分のすべき仕事の範囲を、試行錯誤しながら学んでくれます。 

 セムコ社では、万事がこの調子だ。経営会議に社員ならば誰でも早いもの順で参加できるし、経営会議の議題の閲覧も業績会議への参加も(清掃スタッフを含む)社内全員が参加できるなど、あらゆることが広く公開されている。ライバル企業と兼務している従業員すら閲覧を許されているのだ。

そんなことをしては、不正が起こるのではないか、と考えるのが普通だろう。

私が思うに、セムコ社の極端な方針がうまく言っているのは、セムラーのリーダーシップにあるように思う。セムラー自身は、この本でも述べられるように、できるかぎり企業への影響力を行使しないよう務めている。しかし、前回のエントリでも書いたように、リーダーに求められるのはビジョンの提供だ。

セムコ社は、セムラーの「社員を信頼せよ、豊かな人生を歩め」というビジョンと行動により、社員を統率している。不正をすれば、その社員が自分の仕事人生に後ろめたさを覚えることになる。そんなバカバカしいことはするな、というのがセムラーの教えだ。セムラーがいちいち指示しなくとも、セムラーのビジョンを是とする社員ひとりひとりがセムラーの代わりとなってセムラーの理想を実現していくことになる。

セムラー社で働けば、最高の職場体験を得られるのに、なぜ悪事を働いてまでそれを捨てる必要があろうか。以前、「Googleから転職したSEO技術者はなぜGoogleのエンジンのバグを突いたSEO手法を売らないのか」、という話題を見かけたが、それを行うことで Google の優れた元同僚達の怒りを買いたくない(し、その手の問題は一時的にしか有効でない)というのがその答えだった。

子供の教育でも何でもそうだが、○○を禁止する、と言われたら誰しも反発するものだ。むしろ、「お天道様が見ている」、であるとか「素晴らしい人生を歩め」、の方がよほど効果があるということだろう。

本書は、セムラーのすごい経営手法だけでなく、セムラーという人の高徳な行動も大変面白かった。たいへん啓蒙的な一冊なので、ぜひ読むことをおすすめしたい。