hidekatsu-izuno 日々の記録

プログラミング、経済政策など伊津野英克が興味あることについて適当に語ります(旧サイト:A.R.N [日記])

映画「ウィンストン・チャーチル」がよくわからない映画だった件

先日、映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」を見てきた。

特殊メイクで話題の本作だが、たしかにそこはすごい。あらかじめわかっていても、とうていゲイリー・オールドマンが演じているようには見えない。ものすごく自然に見える。

とはいえ、特殊メイクが自然な分、見ている分には凄さがわからない。では映画の方はどうだったか。私には問題含みに感じられた。

一番の問題はテーマだ。

おおまかなストーリーはこうだ。徹底抗戦を主張していたチャーチルは戦時内閣の首相として任命される。不利な戦局に直面し政敵からの和平交渉提案に頭を悩ますが、最終的には市井の市民のくじけない意思を汲み取り徹底抗戦の道を選び、全政党の支持を取り付ける。そのまま普通に捉えれば、「信念を貫く素晴らしさ」が主題として選ばれているように思える。

しかし、だ。もしこれが太平洋戦争時の日本の立場ならどうだろうか。

不利な戦局に直面した大日本帝国の首相は、天皇陛下などからの和平交渉提案に頭を悩ますが、最終的には民衆の熱狂に煽られ、一億玉砕の道を選ぶことになる。素晴らしいどころか悲劇でしかない。大衆というものは、敵に面した時、戦争には熱狂的に賛同するのが普通であり、民意を聞いて徹底抗戦などというのは最低の決断と言っていい。

実際、イギリスにしてもアメリカが参戦しなければ厳しい状況が続いていたと考えられ、徹底抗戦の成功は結果論に過ぎなかったかもしれない。

そして、政敵であるハリファックス側に視点を移せば、彼もまた平和主義に基づく信念を貫いていることには違いなく、そのことを考えれば、チャーチルは素晴らしく、ハリファックスはダメという結論は一面的に思える。

しかも、史実を調べてみるとチャーチルは信念を貫いたわけではなく、「和平交渉が可能ならば飲むつもりだった」が、イギリスが不利な戦局だったため現実的には不可能だった、ということのようだ。

わざわざ史実を捻じ曲げてまで、なぜチャーチルを大衆に煽られた変人として描く必要があったのか。チャーチルの評価はそんなところにはないのではなかろうか。この映画が何を描きたかったのかさっぱりわからない。

映画は本来一番の見所になるはずのバトル・オブ・ブリテン前に終わってしまう。チャーチルはこの後、ロンドン市街をおとりにしてバトル・オブ・ブリテンに勝利し、ナチス・ドイツに対する突破口を開くという快挙を成し遂げるが、この映画での着地点はイギリス国民からの信任を得るところまでとなっている。このこと自体は歴史的快挙でもなんでもないだろう。

個人的には、チャーチルの信念ではなく、老獪で冷徹な思考でもって難局を切り抜けていく姿をこそ見たかったのだけれども。