hidekatsu-izuno 日々の記録

プログラミング、経済政策など伊津野英克が興味あることについて適当に語ります(旧サイト:A.R.N [日記])

あなたの賃金の物語

マクロの視点

  • 国民の賃金水準は、ひとりあたりのGDPで決まる。GDPは国内の総生産であるから、国民の数で割れば、ひとりあたりの生産物の割当が決まることを考えれば当たり前の話ではある。単純に平均賃金を比較しても、国ごとの制度の違い(税制や会社負担の保険料など)の調整が難しいため、適切な比較にならない。
  • 日本のひとりあたりGDP購買力平価換算)は、他の先進国に遅れをとっており、賃金差のほとんどはこれが原因と考えられる。名目GDPで議論している人をしばしば見かけるが、日本は他国がインフレの中、デフレが続いているため、最低でも実質GDPで比較しないと著しく変な結論を導くことになる。
  • 個々人の賃金は、平均的な賃金だけでなく、個々人の能力差、受給バランス、分配で決まる。少なくとも分配に関しては、日本は幸か不幸か欧米に比べて格差は少ない。近年の日本のジニ係数拡大は少子高齢化の影響によるところが大きく、格差が拡大しているわけではない。
  • 賃金水準は労働生産性、すなわち労働者一人あたりの利益と相関があることが知られている。ただし、労働生産性と賃金に関係があることは、同一労働同一賃金を意味するわけではない。同じ仕事をしていても、儲かっている会社の経理は儲かっていない会社の経理より高い賃金を得られるはずである。
  • 資格制度のような供給制限の影響も大きい。日本の場合、企業経営者と並び、医者も高額所得者の大きな割合を占める。

経営者(総賃金の決定者)の視点

  • 人件費は、原材料費などと同様、原価のひとつである。そのため、同じ効果を発揮するのであれば、安くすむ方が望ましい。一方で、従業員は単なる原価ではなく、それ自体が新たなビジネスを産み出し会社を発展させる源でもある。
  • 通常、人件費はあらかじめ総額を決め、分配する形がとられる。優秀な人が増えたので総人件費が増えましたという形だと見通しができないため、その会社の平均的な利益額から妥当と考えられる総人件費を想定し分配するという発想が取られる。そして、利益の増減に従い、その一部をボーナスとして反映する。
  • 一般に、昇進と昇給はセットでなされる。総人件費が決まっている以上、昇進させることができる人数には制限がある。実際のところ、昇給を伴わない昇進は日本では一般的だったりするのだが、むしろマイナスの動機付けをもたらし、退職リスクを高めることが知られている*1。単なる悪習なのでやめたほうがよいのではと思う。
  • 会社にとって有益で重要な人材だと思うのであれば、昇進なしの昇給(時には管理職よりも高い給与を支給する)を検討する必要がある。昇進することで、仕事内容が変わり稀有な能力を発揮できなくなるかもしれない。
  • 一方で、アワード形式での報奨は、(次は受賞できない確率が上がるため)受賞した人々のモチベーションを下げるだけでなく、受賞に近かったにも関わらず受賞を逃した人々のモチベーションも下げるため良い方法ではない。旅行や休暇のようなイベント型の報奨の方が望ましいようだ。
  • 効率的賃金仮説によれば、企業は不正防止のため、生産性に対し妥当な水準より高めの賃金を払うほうが効率的であるとされている。例えば、銀行の高い賃金水準は不正を防ぐために設定されていると考えられる。
  • 学問的には年功序列賃金は、その人の現在の能力ではなくライフサイクル全般を通じて調整された賃金が支払われていると考えられている。高齢になっても高い賃金が支払われているのは、若い時に安い賃金で働かされていた事に対する補償かもしれない。逆に言えば、定年延長後、急激に賃金が下がるのはその補償が終わったからかもしれない。
  • 人間の所有バイアスや効果の持続時間などを考えると、たとえ生涯賃金では同じ賃金が払われたとしても、賃金は上昇し続ける方が望ましい。
  • 女性の賃金は男性より低く出世にも恵まれない傾向にあるが、潜在的な能力自体に男女差があるわけではないことがわかっている。結婚・出産による退職や休職や出世を強く主張しないことがキャリアに影響を与え結果として賃金が上がらない結果に繋がっているようだ。それだけではなく、女性の活躍が制限されている社会では、女性は仕事で役に立つ能力の獲得にそもそも積極的にならない、という逆説的な影響もある。
  • 労働者の意欲や満足度の向上は、業績の向上と密接な関係があるが、業績の向上⇒満足度という因果関係が強い*2。業績が良ければ、結果として解雇も減り、昇給も良く、福利厚生も改善する。それ以上に、業績の良い会社に勤めているというステータスそのものが満足度の向上に繋がっている。
  • 経営者には従業員に幸福をもたらさねばならない義務はない。とはいえ、アルバイトのような非熟練労働者を多用するような業種や労働者を疲弊させるブラック企業は、会社単体で見れば正しい行動であっても、社会全体から見れば長期的な生産性を引き下げ、生活保護費の増大により将来の財政を圧迫する恐れがあり問題がある(合成の誤謬)。とはいえ、原則論としては、このような問題は政府が法的に規制すべきものであって、個々の企業に責任を転嫁すべきものではないとも考えられる。

管理者(評価者)の視点

  • 従業員の自己評価にはバイアスがある。ほとんどの人が自分の能力は平均よりも上であると考えている(平均以上効果)。特に、能力の低い人ほど自己評価の乖離が大きくなる。
  • 従業員の賃金に関する理解にもバイアスがある。ある研究では、従業員は上長の給与水準を実際より2割ほど高く想像し、同年齢、同資格の給与についても実際より高く見積もっていた。これを踏まえると、妥当な賃金であっても、自分はより低い賃金をもらっているのではないかと感じている可能性がある。
  • 業績評価それ自体が、社員の協力関係を妨げ会社に不利益をもたらす可能性がある。MicrosoftAdobeなど多くの企業では、そもそも業績評価を行わない「ノーレイティングシステム」に移行している。ただし、この方法の元で昇進、昇給をどのように決定するのかというノウハウは十分溜まっていないように見受けられる。
  • 業績評価を行うならば、公平性が重要な役割を果たす。その意味で、誰がみても歴然とした能力差があるところに線を引くことが重要となる。細かい評点は安定性を欠き公平性が失われるため、せいぜい5段階にわけるくらいがよいようだ。
  • 業績評価の結果は、上位5%と下位5%に注目する。下位5%を強制的に退職させるという策(スタックランキング)は社員の協力関係を失わせるため適切ではない。頻繁にフィードバックを行い状況を改善する方法を模索することが重要。一方の上位5%からは、彼らが成功している理由を理解することで人材育成に役立てることができる。
  • 業績評価と人材育成は明確に分ける。業績評価の目的は利益の分配方法であり、その人をどのように育成されるべきかとは切り離されるべきである。
  • 優秀な人材を長くとどめておくには、福利厚生などよりも、直属の上司との良好な関係が重要となる。ある調査では「被用者の35%が、直属の上司の解雇と引き換えなら昇給を諦めてもよいと回答している」。
  • マズロー欲求5段階説は、自己実現欲求を満たせれば賃金など低次の欲求は欠けていてもよい、という逃げ場を与えるので人事に根強い人気があるが、実証的には当てはまりが悪いことがよく知られている。より実証的な当てはまりが良いアルダーファのERG理論によれば、下位の欲求から求め始めるため、やはり十分な賃金は必要ということになる。
  • 動機づけには外発的動機付け(インセンティブ)と内発的動機付け(モチベーション)がある。賃金のような外発的動機付けは、一時的な効果は大きいが慣れが起こり長期的には効果が薄くなる。従業員にとっては内発的動機付けの方がより重要かもしれない。
  • とはいえ昇給の代わりに、従業員の内発的動機付けを強化するよう取り組むことは洗脳と何ら変わらない。従業員の内発的動機付けを妨げない、あるいは支援するならばともかく、それ以上は問題だろう。
  • 労働者の学歴や成績と仕事のパフォーマンスにはあまり関係がなく、むしろ好奇心や粘り強さといった仕事を成し遂げることに対する誠実さが重要となる。
  • 組織にとってマイナスの影響を与える人材は排除する必要がある。そのような人物を放置すること自体が、そうでない従業員に不公平感を感じさせてしまう。

従業員(個人)の視点

  • 賃金は能力に対し妥当かもしれないし、高すぎたり安すぎたりするかもしれない。自分で客観的に賃金の妥当性を評価することは難しいが、その妥当性に関わらず、各人は自分の幸福を追求する権利がある。
  • 賃金に対し能力が足りないと考えているのであれば、比較優位の考え方に従い、自分の最も得意とする能力を活かせる仕事に付くことを考えるべきかもしれない。自分のやりたい事とできる事は必ずしも一致するわけではない。
  • 超一流になるのは才能か努力か?」によれば、才能と呼ばれるものはなく、(条件付きではあるが)能力は努力に比例するそうだ。逆に言えば、もし能力が目標水準から大きく離れているならば、相応の努力が必要になることを意味する。
  • 幸福度の研究からは、ひとりあたりの年収が700万円を超えたあたりで、むしろ幸福度が下がりはじめるという結果が出ている。これは各国で見られる傾向で日本特有の現象ではない。なお、資産額についても2000万円で飽和するという結果が出ているようだ。
  • 仕事は労苦と賃金を交換するだけの存在ではない。人々は労働による社会参加を通じて満足感を得ている。健康は幸福をもたらす大きな要素であるため、高い賃金を得るために長時間労働をした結果、病気になってしまったむしろ不幸だ。逆に、失業は不幸な出来事と一般には思われているが、余暇の増加が運動時間を増やし健康が回復するためマイナスの効果だけではないことが知られている。
  • 実績や能力と昇進は必ずしも一致するわけではない。評価者である上司が求めることを行い、アピールすることが重要となる。出る杭になることは、決して悪いことではない。一方で、昇進と幸福もまた一致するわけではない。周囲の注目を常に集め、自分の時間を失い、人間不信になることもある。
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