ただのネタなんだけど、cookpadあたりやってくれないかな、という期待を込めて書いてみる。
Twitter を眺めていたら、
なるほど、プログラマーにとっては、料理の作り方を文章で書かれるより、フローチャートの方がわかりやすいってわけか。 pic.twitter.com/2d6MKiNgMc
— zapa (@zapa) 2015, 12月 6
という話が出ていた。
おぉ、これはわかりやすい。正直なところ現実のプログラムは複雑過ぎてフローチャートにするとむしろわかりにくくなるのだけど、料理のテキストに比べれば遥かにわかりやすい。さすが情報工学と言われるだけのことはある。
ただ、このフローチャートを見て思ったのは、むしろビジュアル・プログラミング 言語に親和性が高いのじゃなかろうか、と思ったのだ。いや、むしろビジュアルプログラムすらいらない。昨今、Infrastructure as code という概念が流行っているが、その延長線状に cooking as code という世界があってもいいではないか。
1年ほど前、自炊を始めたのだが、最初の一週間は何をやってもしょうゆの味しかしない。いろいろ調味料を増やして多少はマシになったのだけれども、どうにも飽きやすい私という人間には耐えられなかったと見え、結局ほとんどやらなくなってしまった。
もし、料理がプログラミング言語で実現できれば、私にもできるかもしれない。cookpad 上の recipehub からレシピをダウンロードしてビルドすれば料理の出来上がり。自分ごのみの味付けにしたければ、Recipefile を自分用に書き換えればいいみたいな。
もちろん、料理とシステムインフラには大きな違いがある。システムインフラと違って、料理の材料は多様だ。Recipefile をビルドするには自動発注システムや万能料理装置が必要になってしまう……あるいは人力ビルドを行うか。
とはいえ、まずは料理記述を定型化することは、非常に重要なことのように思える。料理記述言語とそのHub化の運用が軌道に乗れば、最適化アルゴリズムを使って、料理手順を効率化したり、よくある手順を共通化(=メソッド化)し提供する企業が生まれるかもしれない(アク抜きメソッド実行済みみたいな)。そこまで実現できれば、昨今の大手飲食チェーンが行っている、最終調理工程以外はすでに料理済みみたいな世界が実現できるかもしれない。
まぁ、本当に意味があるのかはともかく、主婦たちが日々の食事を提供するために必死にプログラムを書き続けるという光景はなかなかにシュールではある。